証明済みの創価学会の謀略体質 共産党・宮本議長宅電話盗聴事件≠検証する!!

盗聴現場写真
ジャーナリスト 段 勲
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共産党・宮本議長宅電話盗聴事件を検証する(第1回)

電話盗聴――。通信の秘密、プライバシーの権利の侵害でもある。まして被害者が公党の最高幹部なら、政治活動の自由を侵害するという憲法違反がこれに加わる。  これまでも公的機関による電話盗聴は、何件か発覚し、裁判沙汰にもなった。あるいは、仕事熱心な新聞記者による盗聴取材もあった。
 しかし、平和と人権を強調し、社会の模範となるべき大宗教法人が、電話盗聴で裁判に訴えられ、しかも、その事実が認定されたケースは、わが国の歴史上で一件しかない。創価学会である。
 その創価学会の最高指導者・池田大作名誉会長は、世界諸国を歴訪し、自らの信仰を広める一方で、平和の大切さ、人権の重要性を説いて歩く。でも、電話盗聴を行なった被害者に対 し、一言のお詫びもなければ、反省の色さえ見せることはない。
 真に池田氏が、平和主義者、人権派を標榜(ひょうぼう)するなら、被害者に丁重にお詫びしてこそ本物である。他国から人権賞などの勲章を貰う前に―。  だが不幸にして、これが創価学会の救い難い体質である。創価学会の行動はすべて正しい、池田先生に間違いはない、というのだ。極端な話、いまだに学会員の間に  「電話盗聴は、反学会グループの謀略。日本共産党の作り話」 と、信じて疑わない人々も存在する。
 しかし事実、創価学会の手によって、「日本共産党・宮本顕治(現・中央委員会議長)宅電話盗聴事件」が起こされた。
 公党の最高幹部宅に電話盗聴機を仕掛けるなど、あまりにも大それた行動である。それも、公安≠ェやった、というならまだしも、歴とした宗教法人の仕業 (しわざ)である。さらにはその後、電話盗聴を仕掛けた日本共産党を相手に、創価学会は和気あいあいと「創共十年協定」まで結んでいるのだ。
 後に真相がわかってみれば、日本共産党にとっては怒髪(どはつ)天を突く思いだろうが、信仰の看板に隠れたこのしたたかさと陰湿さが、創価学会のもう一つの顔である。  昨年一年間は、オウム真理教事件に開けて、創価学会問題で閉じるという、いわば宗教の年であった。 その結果、普段は宗教に関心を抱かない国民も、大いに興味を持つようになった。今年一年、オウム事件は、進行する裁判経過の中で真相がさらに明らかにされよう。しかし、昨年に増して国会の焦点になる、宗教と政治の主人公・創価学会については、まだまだ未知の部分が多い。
 いまあらためて、学会が起こした前代未聞の「電話盗聴」という事件を題材にし、信仰の美名に隠された創価学会の謀略性について検証する――。(使用した参考資料は連載終了後に掲載します)  創価学会はなぜ、「日本共産党・宮本顕治書記長(当時)宅」を電話盗聴したのか。動機は、同会が起こした昭和四十五年前後の「言論出版妨害事件」である。以下、まず電話盗聴に至る経過を、日を追って簡単に説明しておこう。
 昭和四十四年十二月十三日、日本共産党の松本善明衆院議員が、NHKの討論会で創価学会の「言論出版妨害事件」を指摘。  同事件とは、明治大学の教授であった藤原弘達氏 (現・政治評論家)が、『創価学会を斬る』(日新報道刊)を刊行した。当時、創価学会を表面切って批判する本は少なく、社会から注目される。その一方、これは後に発覚するが、同著の刊行に対して創価学会 は、公明党議員を使って著者に圧力。さらに出版後も、各書店に「同本を扱わないように」等、圧力をかけていたのである。  こうした事実関係はすでに週刊誌等で報じられていたが、先の松本議員がNHKで指摘したことから、問題は一挙に表面化した。以来、同事件に対する共産党の追及は激しく、創価学会は防戦に追われることになる。  同年十二月十七日、藤原弘達氏が『赤旗』紙に、言論出版事件に田中角栄自民党幹事長(当時)が介入していたことを暴露。さらに、事件は国会に飛び火する。  昭和四十五年一月五日、公明党の竹入義勝委員長 (当時)が、言論出版の妨害を全面否定。
 同年一月六日、田中角栄幹事長、言論出版妨害に関与した事実を認める。  同年一月十一日、創価学会の学生部幹部会に登壇した渡部一郎公明党国対委員長(当時)が、言論出版妨害問題を「バカバカしい話」との暴言をもって否定。  同年二月十八日、国会で共産党の米原衆院議員が代表質問に立ち、言論出版妨害問題を言及。この頃、「言論・出版の自由に関する懇談会」が結成され、言論・出版の自由に関する大集会≠ネどが開催される。同事件は全国的に知られ、社会の衆目を集めるようになる。
 同年二月二十七日、渡部一郎氏が前記暴言の責任を追及され、国対委員長を辞任。  週刊誌、新聞、テレビがこの問題について報道する中で、創価学会が実際に行なってきた「言論出版妨害」が次々と明るみに出され た。  妨害を受けた著作物をざっと列記してみると、『公明党の素顔』(内藤國夫)、『これが創価学会だ』(植村左内)、『創価学会・公明党の解明』(福島泰照)、『創価学会』(竹中信常)、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(隅田洋)、『公明党を折伏しよう』(塚本三郎)、『小説・創価学会』(梶山季之)などである。  これら創価学会批判の各著作に対し、同会は「一切の批判を許さない」という態度で、金や組織の力で懐柔・脅迫・弾圧を加えた。あるいは時の権力者である自民党幹事長や右翼まで使い、出版物を闇から闇に葬(ほうむ)ろうとしたのである。  むろん公明党議員も、創価学会の一兵になって言論弾圧に奔走(ほんそう)した。ほんの一例を紹介しよう。  『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』の著者・隅田洋氏とは、当時、西日本新聞東京支社・論説委員の隈部大蔵氏のペンネームである。隈部氏は、その後、『月刊ペン』の編集長になり、いわゆる月刊ペン裁判の原告になった人物だ。
 その隅田氏こと隈部大蔵氏が、著書の中でこう記述している。  昭和四十三年九月十一日午後一時、東京赤坂プリンスホテル新館の一室。同室に隈部氏は、公明党副委員長・参議院議員北条浩氏(後の創価学会四代会長=故人)から呼び出される。以下、二人の一問一答。  北条 隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。
 しかしだ、いくらペンネームを用いて学会を批判しようとも、全国的に張りめぐらされている学会の情報網に引っかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。  隈部 ……。  北条 よく聞いたがよ い。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これに比べてお前は一匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ一匹の蟻といえども、象は全力をもって踏みつぶすのだ。  隈部 ……。  国会議員とも思えぬ暴言のオンパレードだが、この当時、創価学会は万事この調子であった。  昭和四十五年五月三日、東京・両国の日大講堂で開催された創価学会第三十三会本部総会で、池田大作会長は、  「結果として……言論妨害と受け取られ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」 と、反省とお詫びをした。この時、政教分離の宣言も行なっている。  だが、池田氏が世間に向けて謝罪をする一方で、創価学会は、同事件追及の急先鋒にいた共産党・宮本書記長宅の電話盗聴作戦を密(ひそ)かに進めていたのである。  同年五月十四日、創価学会の盗聴実行グループが、宮本宅電話盗聴の拠点として、「青木高井戸マンション」を賃借。
 同年五月下旬、盗聴実行グループが宮本宅の電話線に盗聴機を設置し、盗聴を開始する。
 同年六月十八、十九日、宮本書記長の秘書が、電信柱に付いていた盗聴機を発見。日本共産党は犯人不明のまま盗聴犯人を告訴し た。  なお、創価学会の盗聴実行グループはその後、当時、敵対していた「妙信講」(現・顕正会)をはじめ、六件に及ぶ盗聴を実行した。
 ところで、宮本宅の盗聴機が発見されたとき、犯行者としてもっとも疑われた機関は公安であった。むろん確証など何一つないが、被害者の日本共産党や一般世間もまた、犯人・公安説を信じて疑わなかったのである。
 やがて歳月の流れとともに、社会から宮本宅電話盗聴事件は風化し、迷宮入りかと思われた。
 ところが、事件から十年の時が過ぎた昭和五十五年六月、『週刊ポスト』誌が、  「宮本宅盗聴は創価学会がやった、との内部証言」     (六月十三日号) と、報じるのである。       (以下次号)



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