「自由の砦」2000年12月8日号


11月11日開催
信教と思想の自由を守る会¢蜑での
白川勝彦元代議士の講演より
「国民の自由を守るために共に戦おう」

 衆院選(6月25日)の落選から考えたこと
          国民と歩む政治家としての苦衷と覚悟

 白川勝彦でございます。
 皆様方が、「信教と思想の自由を守る会」ということで、いろいろな所で、妨害に耐えながら活動していることに、心から敬意を表するものであります。
 私は、自由民主党の中で、自民党と公明党との連立はしてはならないということで、多くの仲間と共に戦ってきた者でございますが、皆様方が私に対して、いつもお心配りをしてくださって、本当に、心から力強いものを感じております。  また、先の六月の総選挙では、十一万五千票取ったのでありますが、落選いたしまして、皆様に大きな落胆や悲しみを与えたのではないか、と思っております。
 どうしてこういうことになったのか、という点ですが、私の秘書のことが、それも、不本意かつ不自然な内容で、たびたび新聞の一面トップに載った、それが、直接の原因でございます。
 自・公に反対したということで支持率は減ったりしないんですが、ああいうスキャンダルのようなものをドンドン出されることは、恐ろしいものです。
 私の支持率が十五パーセント落ちて、対立候補が十五パーセント上がり、行って来いで三十パーセント違うんだから、これは普通の努力では、どうにもなりません。
 しかも、もし、その後向こうの仕掛けた力があったとしたら、これは、もう、どうしようもない話であります。
 そうなれば、思想・良心の自由だけでなくて、ある面では言論の自由までが、大きな危機に曝(さら)されている、ということを、皆で認識する必要があるんじゃないか、と思います。
 結局、相手が十一万九千票で受かりました。私は十一万五千票で落ちました。  しかし私は、全然、悔しいなんて思っていません。
 仮に私が受かっていても、自・公・保連立内閣を阻止することはできなかったでしょう。
 そのことで、心を痛め、苦しむ国民が大勢いるとき、私がバッジをつけて平然としているというのは、国民の代表の一人として、けっして良いことだとは思っていません。
 皆様方が、今の自・公・保というものに憤(いきどお)りをおぼえ、それを辛いと思うのならば、私も皆さんと一緒になって、血を流していく――そう思っています。
 私は、国民と共に歩む政治家である、また、そうありたい、と思っています。皆さんが頑張っておられるのに、私だけ布団をかぶって寝ているわけじゃありませんから、どうぞ、心配なさらないでください。そして、今後とも変わらぬ大きなご声援をいただけますよう、心からお願い申し上げる次第でございます。(拍手)
 公明党の政権入りは憲法違反
          屁理屈に過ぎない学会の憲法解釈

 さて、今日ここにおいでの皆様の中には、例えば宗教者の立場から、この問題にアプローチしてる方もおられると思います。
 私は、どう考えても宗教者ではありません。政治家であります。  私の信仰心というものも、正直なところ、仏壇に手を合わせる、という気持ちを持っている程度です。
 そんな私が、自由主義者として、リベラリストとして、「公明党の政権参加」ということに問題意識を持ってきました。
 すなわち、公明党が政権に参加するということは、憲法二十条一項後段に書いてある「いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」という規定に、違反することである、と思うわけでございます。
 普通の日本人が、この文を読めば、創価学会と一心同体の関係である公明党は政権の中に入ってはならないと、そう理解するんじゃないでしょうか。どう思いますか、皆さん。(拍手)
 ところが、創価学会・公明党の皆さんは、それが違うんだといって、山ほどの能書きを言っているわけです。
 彼らの意見を要約するとですね、「ある宗教団体が、国や地方公共団体から委託を受けて、裁判権、警察権、徴税権等を行使する、という事態が、政治上の権力を行使することに当たるのであって、それ以外は、この条文には違反しない」というのです。
 そもそも、そんな事態は、起きようはずのないことであります。彼らは「そうならない限り、憲法には違反したことにならないんだ」というわけですが、そんな、意味のない、ありもしないようなことを防止するために、憲法に条文を書くはずがないのです。憲法というのは基本法ですから。
 また、政教分離の原則というのは、宗教を持っている人が政治に参加するのを禁止したものではありません。
 憲法がいう政教の「政」というのは、政府、政府機関、具体的な権力、国家機関のことをいっているんです。政教の「教」というのは、教えじゃなくて、教団、宗教団体のことをいっているんです。これを間違わないでください。
 すなわち、政府とか地方公共団体という権力と、宗教団体とは分離しなさい、宗教団体がそういう権力の中に入ってくることを防止する、という規定なのです  ところが現実は、創価学会という宗教団体が直接入り込むことはできなくても、学会は公明党という政党を作って、現に権力の中に入り込んでるじゃないですか。
 公明党は入っているかもしれないけれど、創価学会は入っていない、なんていうのは、屁理屈というんです。
 創価学会が事実上支配する公明党が政権に入れば、文字どおり創価学会が権力の中に入ったというべきですし、現在の姿は、創価学会が政治上の権力を行使することになる、憲法違反だ、といわれても仕方がないと私は思います。
 憲法は、宗教団体をいじめようとして、そういう規定をしているわけじゃありません。信教の自由というものを守るために、宗教団体は自らこのことを自覚して行動しなさいと、憲法が宗教団体に課した義務なんです。だから、各宗教団体はこのことを肝に銘じて、「政治活動をしてはならない」とは言いませんが、それには自ずと限界というものがあるだろう、というのが、政教分離を主張する人の考え方だと思います。

 政教一致の創公による深刻な危機
          見過ごせば自由主義の崩壊へ

 さて、憲法二十条の一番最初には、「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」と書いてあり、その前の十九条には、「思想及び良心の自由はこれを犯してはならない」と書いてあります。これは結局、私は、一体不可分の、同じ事を言っているのだと思います。
 すなわち、我が日本国憲法は、思想、良心、信教の自由を保証する、これを明確に宣言しており、これこそが、日本国憲法の要(かなめ)中の要だろうと、私は思っています。
 戦前ならば、ここに「社会の安寧(あんねい)を害しない限り」という制限が付いたわけですね。だから「この宗教あるいは思想は、社会の安寧を害する」と思ったら、いくらでも弾圧できたわけであります。
 しかし、日本国憲法には、なんの制限もないのです。これが、戦後の日本を築き上げてきた、また、日本国憲法を世界でも冠たる自由主義憲法だと言わしめる二つの条文である、といえるのであります。
 だから、もし、「自由を大事だ」と思う人がいたならば、十九条であろうが二十条であろうが、思想・良心・信教の自由の、どれかが危機に曝(さら)されようとした時には、たとえ、自分に関心がなかったことでも、そのために戦っている人たちにもっと近づいて、応援しなきゃならないんじゃないか、と思いますね。
 たとえば、信仰している皆さんが「政教分離の原則が大事だ、信教の自由が大事だ、それを抑圧しないでほしい」と言っても、その外側にいる人達は、だいたい、宗教は阿片(アヘン)だという考えの人も中にはいるわけですから、「そんな、阿片の中毒患者がワーワー言ったって、そんなことに耳を傾ける必要はない」と、これまで捉えてきた側面はなかったか。
 しかし今、日本で、信教の自由を守るために定められた政教分離の原則、とりわけ「宗教団体、いかなる宗教団体も政治上の権力を行使してはならない」という条文が、目の前で踏みにじられているのに、これを何とも思わないような宗教者は、宗教者とはいえないと思います。
 また、このような事態を何とも思わない、「それは宗教者の中だけの問題だ」という人は、「自由主義者だ」とか、「リベラリストだ」とか、「人権が大事だ」なんて言うな、と私は言いたいのであります。(拍手)
 信教の自由が侵されるということは、必ず、思想及び良心の自由が侵されるところに行き着く、それが歴史の教えているところであります。
 だから、憲法が、国民の基本的人権の中でも一番大事なものとして主張している思想と信教の自由≠アれは一体不可分である。どこが犯されても、必ず自分の自由が犯されることになるんだ、ということを私は宗教者ではない人達に訴えているわけです。
 したがって信仰を持っている宗教者の皆様も、国民としての人権や、思想・良心が侵されている人達がいたならば、皆さんも耳を傾けるようにしてしてもらいたいな、と思います。
 そうやって、まさに日本中に協同戦線を作っていかなければならんのが、今の我が国がおかれている大事な時なんじゃないかと、私は思っているんです。

 政治家は自分の言に責任を持つべき
        権力亡者の都合で変わる現今の自民党

 さて、「自・公・保」ということですが、何か、でかい固まりで「強い」「恐い」と思われるかもわかりませんが、逆なんですね。自・公・保は弱い連中の連合なんです。(拍手)
 自民党も公明党も火が着いているし、保守党も消えかかっている。結局、弱いから、あんなふうに集まっちゃったと見れば、それと戦うなんて何ともないことです。
 自・公ができて、もう一年二ヶ月になるわけですね。
 先日の朝日新聞によれば、「自・公・保がいい」っていう人は十九パーセントしかいないんです。反対が五十五パーセント。その時の自民党支持率は二十八パーセントでした。
 だから、自民党支持者の中でも、九パーセントは「自・公・保はいやだ」って言っているわけですから、これを「強い」などと見る方が間違っているんです。これは早晩のたれ死ぬ、したがってこの戦いは勝つに決まっている戦いなんだから、あんまり青筋立てなくていいですよと、私は言いたいわけであります。
 戦いは厳しいかもわかりませんが、どうぞ皆さん、そんな気持ちで頑張ってください。ご健闘を心からお願いする次第でございます。
 さて、永田町界隈(かいわい)が、急に慌(あわ)ただしくなってきましたね。  ま、私は加藤さんの右腕といわれて、加藤さんとは二十何年間、ほとんどの問題を一緒にやってきました。
 平成八年の選挙の時に、私達は、「新進党は創価学会党である」「政教分離されていない新進党じゃなくて、自由民主党を勝たせてください」と言った。加藤さんが幹事長で、私がその下の総務局長でした。
 その時、亀井という人は、組織広報本部長で、いろいろと過激なことをしゃべっていたわけでありますが、彼には、「あの時のテレビでの発言をもう一回思い出してみろ!」と言いたくなりますわ。
 本来、政治家の言葉というのは、重い、責任のあるものなんだと思いますが、森さんや野中さんや亀井さんの言葉は軽いですね。
 軽いというよりも、彼らは自分の言葉に何の責任も持たない。
 彼らは自分の都合次第で、「新進党は創価学会党である。政教分離してないとんでもない党だ」と言い、今度は「創価学会・公明党さんは立派に変わられました」などといって、まるで、これほど世の中で良い政党はないんだ、とばかりに言う。  彼らにとっては、言葉は化粧みたいなものなんですね。
 言葉っていうのは、人間がしゃべるものですが、彼らのは権力亡者が使う言葉であって、人間の言葉じゃないんじゃないでしょうか。(拍手)
 人間の言葉っていうのは、もっと重いもの、大切なものであり、言った人間が責任をとるものでなくてはならない、と、皆さん、そう思いませんか?(拍手)  白川勝彦は、大した人間じゃありませんが、少なくとも猿や狢(むじな)や豚ではありません。赤い血が流れている人間であります。
 自分が言った言葉には、責任を持ちます。
 むろん、人間ですから過ちもあるかもしれません。しかし、少なくても自分が言ったことを変える場合には、ちゃんと総括をし、「こういう理由で私は間違っていましたから、今後は、こういう主張にします」という言い訳ぐらいしなければいけない。平気で全く別のことを言う人間にはなりたくないですね。
 そういう意味でも、自由民主党は完全に腐ったな、と思います。自民党は、本当に、国民から見捨てられると思います。
 それを予兆させるのが、長野県知事選であり、東京二十一区の戦いだったんじゃないでしょうか。
 もう自民党は、今後とも、単独で過半数を取れる、すなわち国民から「どうぞ、政権を担当してくれ」と信任される政党には、二度となれないんじゃないかな、という気がしてしょうがありません。
 自民党からその魅力が無くなったら、自民党は一挙に転がり落ちます。
 かつて、落ちるところまで落ちかけたとき、私は、細川さんの一億円疑惑を追及したり、自社さ政権を作ったり、あるいは平成八年の選挙では、「政教分離」を徹底的に主張して、自由民主党を政権党に押し上げたけれども、今度は、そんなことは絶対しないよ、という感じです。
 せっかく私達が苦労してですね、「改心して、良い自由民主党を作りましょう」と、やってきたのに、すぐに調子に乗って、元の自民党の地を、いや、元の自民党以上に悪い姿を曝(さら)す。それだったら、もう、私も、こんな自由民主党には責任が持てませんから、皆さんに推薦できないじゃないですか。
 私は自由主義者です。自由主義者ですから自民党に入りました。そして、自由民主党の名に恥ずかしくない党にしようじゃないか、ということで、冷や飯も覚悟でいろんなことをしてきました。

 真の自由民主求めて信念の道を
          21世紀の日本を築くために

 しかし、自由民主を掲げる保守政党、保守政治家ににとって、一番大事なことは、人と人との信義を守るということと違いますか?(拍手)  それならば、公明党と手を組むという前に、平成八年の選挙を思い出して見ろ、といいたい。
 人と人との信義に悖(もと)ることにならないか。私は悖ることになると思いますね。
 平成八年の選挙の時、「創価学会に牛耳られた新進党が政権を取ることだけは、信教の自由のために絶対、阻止してほしい。そのためには自民党を応援しますから、どうか一つ、信教の自由、政教分離は守っていただきたい」ということで、どれだけ多くの宗教者の方に自由民主党は世話になったんでしょうか。  そのことは、総務局長であった私が、誰よりも知っていますよ。
 宗教者の皆さんは、池田大作さんや創価学会みたいに、自民党に対して「あれをしてくれ、これをしてくれ」なんて言わないんです。たった一つだけ、「どうか信教の自由だけは守っていただきたい。政教分離の原則が守られる社会を作ってほしい」という一点で、自民党を支持してきたんです。
 それを、すべて踏みにじって、今度は公明党と仲良くやろう、というんだから、保守政治家、保守政党としての、誇りや信義や生き様を捨てた、としか言いようがありません。
 しかし、自民党がどうなろうが、二十一世紀の日本は、思想や良心の自由が守られる国でなければならないし、信教の自由が守られる国でなければならないし、言論や出版の自由が守られる国でなければならないのです。(拍手)
 日本を自由な国にしないかぎり、二十一世紀の発展なんか、絶対にありません。
 自由な国の中で、国民が自由闊達(かったつ)に伸び伸びと活動できる、ということが、国富の源なんです。
 あの廃墟の中から、なぜ、日本は起ち上がってきたか。何もなかったけれど。日本国憲法が国民に大きな自由を与えたから、国民の能力が引き出され、活力が引き出されてきたんじゃないですか。
 その結果、猛烈なエネルギーが出てきて、奇跡といわれる繁栄を築いたんじゃないでしょうか。
 現在、我が国がぶつかっていると言われる壁を突破する力、それは、じつは公明党や池田大作さんの力を借りることじゃなくて、国民に本当の自由を保障して、国民の力を引き出すことなんです。
 これに真っ向から反し、敵対しているのが、「自・公・保」連立だと思うから、自由主義者として私は「これは許せない」と思っているのであります。
 皆さんの多くは、信教の自由というところから出発しているのかもしれません。
信教の自由を守るのも、国民の思想・良心を守るのも、皆な同じであるという立場で、どうか、これからも、この会の活動を一生懸命に行なっていただきたい。そこに、じつは二十一世紀の日本を築く力があるんだ、ということを、肝に銘じて、各地で頑張っていただきたいと存じます。
 私も、誰よりも自由を愛する一人の政治家として、必ず、皆さんと共に、政治の場ではその先頭に立って戦うことを、ここでお約束いたします。
 ご静聴ありがとうございました。(大拍手)
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