自由の砦 3月10日号 第98号


今や池田大作は日本のキングメーカー!?

首相の誕生から退陣まで池田の都合次第

 日本の政治は学会に乗っ取られる寸前!?
     次期総理も池田創価学会の意向が最優先

 唐突な池田元首相との秘話紹介
       言外に匂わす森首相退陣の引導
 一月二十四日夜、都内港区の高級料亭「有栖川清水」に、黒塗りの高級乗用車が次々と停車。自民党の野中広務前幹事長、古賀誠幹事長、青木幹雄参議院幹事長、村岡兼三総務会長が、そそくさと料亭内に姿を消した。
 この日、政権与党の首脳が「有栖川清水」で会談した相手は、創価学会の秋谷栄之助会長と八尋頼雄副会長、そして公明党の藤井富雄常任顧問だった。
 この席で創価学会・公明党側は「このままでは参議院選挙が戦えない」として、森首相の退陣を要求。特に、昨年秋の臨時国会を「教育国会」とし、教育基本法の改正に熱意を見せた森首相に対し、「教育改革の提言」を発表し、教育基本法改正に反対を表明した池田大作名誉会長の賛意が得られない旨を、秋谷氏ら学会・公明党側は主張したといわれている。
 支持率わずか五l(日本テレビ世論調査)。国民の大多数の支持を失っていながらも首相の座に固執してきた森首相退陣の流れは、この「有栖川清水」での料亭会談≠ナ、事実上決まり、以後、公明党は森退陣の先兵役を果たした。
 その「有栖川清水」会談から四日後の一月二十八日、池田大作氏は、『聖教新聞』に連載している「池田SGI会長の素晴らしき出会い」で、自民党宏池会の創設者である池田勇人元首相との関係を、突然、明らかにした。
 「二人の池田≠ナ頑張りましょう!!
 希望の日本≠ヨ 命をかけて」と題する記事中で、池田大作氏は、東京都新宿区信濃町、学会本部からほんの目と鼻の先に住んでいた池田勇人元首相とは昵懇(じっこん)であり、その関係は濃密(のうみつ)だったと誇示している。
 まずは、池田大作氏が創価学会の会長に就任した、昭和三十五年五月三日、この日、池田勇人邸を訪れた池田大作氏に対し、池田勇人氏はこんな発言をしたという。以下『聖教新聞』より。
 「池田総理のお宅の玄関にもうかがった。たしか当時、岸内閣の通産大臣であられたと記憶している。
 訪問した時、私はまだ三十二歳。しかし大臣は、非常に喜んでくださり、『よくおいでくださいました』と、若輩の私に対して、礼儀正しく、きちっと、真摯(しんし)に迎えてくださったことを忘れない。
 はじめ奥様は、私があまりに若いのに驚かれたようだ。
 『まるで、町内会の会長さんか青年部の会長さんみたいな若さですね』と、親しみを込めて言われて、みんなで大笑いになったことが懐かしい。(中略)
 大臣は『いや、うれしいですね。これからは信濃町の二人の池田≠ナ頑張りましょう。日本のために!』と言われ、この二人の池田∞信濃町の池田≠ヘ週刊誌にも紹介されて有名になってしまった。」
 この後、池田大作氏は、池田勇人氏が自分の贈った本を大事にしてくれたこと。学会の施設が新設された時には池田勇人氏がお祝いを届けてくれたこと。さらには本当かどうかは分からないが、創価学会の最高幹部の中で「誰が岸氏の後継総理になるか」が話題になったとき、池田大作氏一人だけが「池田勇人氏だ」と主張したことなどを自慢。さらには池田勇人氏が総理大臣に就任した際にも、池田勇人邸にお祝いに行き、ライスカレーをごちそうになったことなどを明かしている。
 もっとも、古参幹部によれば、池田大作氏は創価学会の会長に就任した際、たしかに池田勇人邸に赴いたが、夫人に「会長? 何ですか、町内会の会長ですか」とあしらわれ、池田大作氏は地団駄を踏んで悔やしがった、という。
 「一月九日に池田勇人夫人の満枝さんが死去し、歴史的事実を知る人がいなくなったことから、池田大作さんは、自分にとって都合のよいように池田勇人氏との関係を書き換えたのではないか。」(事情通)
 では、なぜそのようなことまでして、池田勇人氏との関係を濃密なものに仕立てることにしたのか。その理由を窺(うかが)わせる記述が同記事の中にある。
 それは、池田勇人元首相の総理大臣就任時のエピソード。先述のように、池田大作氏は総理大臣に就任した池田勇人邸を訪問し、ライスカレーをごちそうになったというのだが、その際、池田勇人総理はこんな一言を漏らした、と書いているのだ。
 「庶民的な『総理のライスカレー』は池田邸の名物であった。総理就任と同時に、ゴルフも宴会も『日本人のだれもが行けるようになるまでは、ぷっつり、やめます』とのこと。」
 これは、連日の料亭通いや、「えひめ丸」沈没の際にゴルフに耽(ふけ)っていたことで批判を受けた、森首相に対する、痛烈な皮肉以外の何ものでもない。
 要するに池田大作氏は、池田勇人元首相の総理大臣就任時のエピソードを披露することで、森首相に総理大臣の資格なし≠ニ引導を渡し、露骨に退陣を要求したのである。

 「学会とのパイプ」が次期首相の基準
       「聖教」記事は堀内氏支持の表明

 と同時に、宏池会の創設者である池田勇人元首相と自らの濃密な関係を誇示した背景には、昨秋の加藤政局の折に、加藤派を分断して自・公・保連立政権崩壊の危機を救った、池田勇人元首相の女婿・池田行彦元自民党総務会長や堀内光雄元通産大臣らが結成した堀内派への支持を、満天下に示す意図も含まれている。
 さらには、創価学会・公明党は森首相の後継総理に、創価学会・公明党と太いパイプのある野中広務前幹事長を切望しているが、自民党内は野中後継で一本化しているわけではない。むしろ、七十五歳と高齢であり、これまでの政治的キャリアから「悪役」イメージの強い野中氏では、無党派層の票を獲得することはほぼ絶望的である、との理由から、野中後継に反対する声も根強くある。
 その結果、YKKの一人として国民的人気の高かった森派会長の小泉純一郎氏をはじめ、世代交代の名目で、高村法務大臣や平沼経済産業大臣、麻生経済財政政策担当大臣、はては野田聖子元郵政大臣の名前まで取りざたされているが、池田大作氏の池田勇人元首相との関係を誇示する一文の発表は、こうした後継候補の一人として名前のあがった堀内光雄氏に対する、池田大作氏のOKサインとの見方もある。
 「創価学会・公明党としては、何としても野中で行きたいところだろうが、もしだめな場合は、次善の策として創価学会と太いパイプのある堀内で行きたい、ということなのだろう。池田勇人との関係を誇示した池田大作の聖教新聞の記事は、そのメッセージだ」(事情通)
 周知のように、堀内氏は元富士急行の会長。富士急行は創価学会が日蓮正宗から破門される平成三年までは、学会員の日蓮正宗総本山・大石寺への参詣登山のバス輸送を請け負っていた。
 「富士急がここまで大きくなったのは創価学会のおかげといっても過言ではない。」(地元政界関係者)  そうした太いパイプがあるだけに、創価学会が全面支援した新進党と自民党が激しく戦った平成八年の総選挙でも、堀内氏は自民党公認候補でありながら、なんと公明党の推薦を受けていた。逆に言えば、そうした時期にあっても創価学会・公明党は堀内氏を支援していたのだ。

  森政権誕生にも池田の配慮が
       このままでは政治が壟断される

 もっとも、こうした一方で、三月十一日付『聖教新聞』掲載の「池田SGI会長の素晴らしき出会い」の中で、池田大作氏は森派の前の前の会長である阿部晋太郎氏との関係を誇示。昭和三十三年の出会い以来、何回も会っている、と記述している。
 特に、平成二年に阿部外相(当時)が訪ソし、ゴルバチョフ書記長と会談する際には、前後二度にわたって池田大作氏と阿部外相が会談し、日ソ友好の道筋を開いたかのように記述している。
 さらには、阿部晋太郎氏の義父にあたる岸信介元首相と戸田城聖創価学会二代会長との関係を詳述することで、岸・戸田=阿部・池田という両者のつながりを濃密な関係に織り上げている。
 森首相本人をはじめ、森派内には、創価学会・公明党が森降ろしの先兵役を果たしたことに不快の念を抱いている国会議員が少なくない。また、創価学会・公明党が切望する野中総理の対抗馬である小泉氏は森派の会長。その小泉氏と創価学会・公明党は、これまで疎遠な関係にあった。
 池田勇人元首相に続いて、微妙な政局下で突然、阿部晋太郎氏との関係を誇示した背景には、森派ならびに小泉氏に対する池田大作氏のエール、秋波のサインが込められていると見るべきだろう。
 昨年、小渕後継として森喜朗氏が、いわゆる密室の会議で後継首相に担ぎ上げられたのは、森氏が自民党幹事長として自・公連立を推進するために汗をかいてきたことで、創価学会・公明党の受けが良いと見られたからである。
 だが、相次ぐ失言や失政で、このままでは参議院選挙が戦えない、という創価学会・公明党の判断、ことに池田大作氏の不興を買ったことで、森首相は首相の座から引きずり降ろされることになった、とも言える。
 そして、いま、創価学会・公明党は、次期総理の選出にも大きな影響力を発揮しようとしている。
 独善的かつ排他的な創価学会に、日本の政治を壟断(ろうだん)されていいのか。
 日本の将来を暗澹(あんたん)たるものにしないためにも、今夏の参議院選挙で、連立政権を組む自・公・保三党に鉄槌を下さねばならない。
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