「私と創価学会」

間近で見た池田大作の素顔

原島嵩氏(元創価学会教学部長)


池田と対峙することの厳しさ 発病の原因は学会との関わりに
大阪補選で得た池田の教訓 その反動で自ら権力を志向
池田の人物を語る事例 攻められると逃げ出す「王将」
まことに危険な自自公政権 学会の跋扈を断じて許すな
欲の張り合いで築かれた学会 国民のためにも学会の野望阻止を

池田と対峙することの厳しさ

発病の原因は学会との関わりに

「私と創価学会」と題してお話する前に、私自身の体験をちょっとお話してみたいと思います。  それは、平成九年の九月十五日に母が他界してから、私が急に元気がなくなり、不安神経症――皆さん聞き慣れない言葉でしょうけれど、うつ病――と医者から診断され、そして、私は食べる物も食べられない、全部吐いてしまう、水も吐いてしまう。そして、すべての現実が怖くなってしまったのです。  お恥ずかしいことですが、私自身の信仰、それも、滅失してしまいました。  妻が勤行をし、題目を唱える声も、「怖いからやめてくれ」と言ったときに、妻は、非常にうろたえました。  そして、妻が日蓮正宗に帰伏したことは、最初は知らなかったのですが、やがて、どんどん元気になっていく、私もそれにつられて元気になっていく――という、非常に自分にとって、信じられないような体験をしたのです。  かつて創価学会教学部長として、皆様方の前で、さまざまな話をし、御書の講義をしたりしていた私が、まったく、もう何もかも怖い、外へ出ることも怖い、歩くのも杖をつかなければ歩けない、そういった状態になったのです。  ほぼ十五分おきくらいに、食事を吐き、水を吐き、それこそ、生きた心地がしませんでした。  毎日毎日、妻に遺言を書き、「もうダメだ。もう自分は死ぬしかない」そのように、死ぬことばかり、いつも考えておりました。  人間、生と死という問題に直面したときに、大地に倒れた者は大地に依って立つという教えのあるごとく、まさに私は、最悪の状態から、よみがえったのです。  なぜ私がこのような体験をしなければならなかったのか――、それからというもの、自分で原因を深く追及していきました。  私は、何のための信仰だったのか、何のための人生だったのか、いつもそのことを考えて、過去を振り返っていきました。  そして、その原因は、結局、創価学会にあることに気付きました。  創価学会にあっては、池田大作の支配下に置かれ、その命令に絶対服従をし、やがて私は、その池田大作の無謀ぶりが本当に恐ろしくなり、昭和五十五年七月に決起いたしました。  その前に、同年二月二十六日、六時間にわたり、一対一で、池田大作の信仰上の問題、社会上の問題、そうしたことについて追及しまして、その時は、「よくわかったよ。オレとおまえの仲ではないか」あるいは「みんな、私の一言に右へ倣えであった」と、反省らしき言葉があったので、ひとたびは喜んで帰りました。が、案の定、その翌日から創価学会の本部職員に対して、「道で会っても取り合うな」「原島とは絶交せよ」という司令が出されまして、私は、やむなく聖教新聞社にも行けず、新宿文化会館という所の一室に監視状態の中で、仕事をせざるをえなくなったわけでございます。  そして、母にまで圧力をかけて、私が何かを書いているんじゃないか。学会批判物を書いているんじゃないか。家捜ししろ≠ニいう指令が出されて、母が私の家に来ましたので、私はとても家にいることが耐えられず、外へ飛び出してホテルを転々とし、ついにマスコミを通じて、創価学会の信仰上の誤り、そして社会上の誤りを告発いたしました。  そのために、八月二日、私は創価学会を除名処分になったのです。  その時の、聖教新聞の私に対する報道ぶりは、まことに悪口中傷というか、一夜にして善人が悪人になるような組織を、私は垣間見たのです。  私は、池田大作と対決するまでは、学会の中にあって、温室育ちで育ってまいりました。ずいぶん、池田大作にかわいがられてもきました。  しかしながら、それと対決するということは、どんなに苦しい思いをしたことか、今でも忘れることができません。  そうしたことが尾を引いて、私の病気の原因になったのであります。

大阪補選で得た池田の教訓

その反動で自ら権力を志向

 さて、「私と創価学会」というタイトルに移ってお話を進めたいと思いますが、私は、昭和十四年十一月十二日、満一歳の時に日蓮正宗で御授戒を受け、父や母が、戦前の創価学会教育学会といっていた頃からの幹部でしたので、自動的に創価学会員となって、まさに何もわからない小さい時から勤行をしつけられ、そして私自身、そのために幾度か命拾いをいたしました。  小さい時には、体が病弱で、三度ほど死にはぐったことがあります。そしてまた、ある時は、明日の四時頃が危ないと医者から言われて、親戚一同が集められたこともあります。  また、疎開で宇都宮に移った時に、そこで大空襲に遭いました。私と母と妹は逃げ遅れ、防空壕にも行けず、近くの掘っ立て小屋の中に入りました。そこで母は、「さあ、最後の勤行をしよう。日蓮大聖人の元に行くのだ」と言っておりました。父は、学校の先生でしたので、学童疎開で秋田の方に行っておりました。  ここで私が、なぜこんなことを申し上げるのかというと、創価学会も、もとをただせば日蓮正宗の信徒団体であり、信仰が純粋な時もあった、ということであります。  しかしながら、創価学会が何故、変質してしまったのか、このことを私は、皆様方に深く訴えたいのであります。  昭和三十二年の大阪補欠選挙で、池田大作は選挙違反で逮捕されました。  その時、池田大作は、権力の恐ろしさを、肌身をもって知ったのです。そして、逆に権力を取らなければやられる、と思い込んだのでした。  それからというもの、まず創価学会内の権力を手中にし、さらに社会的な権力を手中にしていく、という行動に出たのです。  昭和四十年七月、池田大作は、「自分が日本の最高権力者である」と語っています。また、「精神界の王者であり、大統領である。日本の王者である」等々とも語っておりました。  居並ぶ幹部達は、口を揃えて、「池田先生をいつか総理大臣にしたい」と語っておりました。  何故、彼がこれほど狂ったのか――、一つは昭和三十九年に公明党が発足し、昭和四十年には三百五十五億円の御供養金が集まり、金と権力の二つを手中に収めた池田大作が、己れを、やがて日本国を乗っ取ろうとの野望に掻き立たせたのであります。  私は、昭和三十九年、聖教新聞社に入社しました。そして昭和四十年には、特別書籍の局長という地位に昇りました。  特別書籍というのはどういうものかというと、池田大作の出版物、講演、それから外部への寄稿、それらの八十%以上は、特別書籍という部門で作成したのです。  残り二十%は、篠原善太郎さんという人が、小説『人間革命』をはじめとして、外部への寄稿、あるいは詩を作るなどしておりましたが、私達は『御義口伝講義』上下、『立正安国論講義』、あるいは『科学と宗教』、『政治と宗教』、そういった書物を手がけてまいりました。  皆さんは驚かれるかもしれませんが、池田大作が書いた物というのは、ほんのわずかしかありません。ほとんど代作、代わりに作った物であります。  その特別書籍の局長に任ぜられ、私はせっせと、池田大作の書物等を作成することに専念してまいりました。  そのために、どれほど自分自身が池田大作の本仏化に手を貸したことか、それを今思うと、恐ろしいと思わざるをえません。  本仏化、独裁者となることに手を貸した、そのことに関して今、私は、被害者の会の皆さん方にお詫びしなければならないと思っております。本当に申し訳ございませんでした。  しかし、私は、今までの皆さん方の苦労を思えばこそ、断固として、池田創価学会、そして自自公連立、それらを阻止する旗を、私自身も持って、突き進んでいきたいと決意しておりますので、皆さん、よろしくお願いいたします。(拍手)

池田の人物を語る事例

攻められると逃げ出す「王将」

池田大作という人物はどういう人物か。  それは、物腰の柔らかい、対外的なイメージを、聖教新聞やSGIグラフ等で発表しておりますが、じつは、自分が信ずるものは自分しかない、あとは誰も信じられないという、自分自身の絶対の過信者であります。そして、何よりも小心者であります。  私は池田大作と将棋を差したことが何回もあります。  その時に、池田大作は、飛車の上に銀が上がる「防銀戦法」ばかりを取っておりました。まあ、将棋のわからない方がいらっしゃると思いますので、あまり説明は長くいたしませんが。  そして速攻型タイプなのです。  また、逆に攻められると、飛車が取られようが、角が取られようが、金が取られようが、銀が取られようが、王様だけがひたすら逃げていくという(場内笑い)、王様が裸になって逃げていくという、まさに、そういう性格の持ち主でありました。  そして、陰湿であります。  ある時、私が、人民寺院≠フ件を話して、「恐ろしいことだ。宗教を間違うと、とんでもないことになる」と、池田大作に話をしましたら、「何を言うか。創価学会だって同じだ。私が一言『死ね』と言ったら、何人も死ぬ人間がいるだろうな」などと、ものすごい形相で語る人物でした。  先程、体験の中で、いろいろな嫌がらせ、それこそ大惨事になりかねない暴行・放火等の事件が語られましたが、こうした指令の大もとは、池田大作から出ているのです。  先程も少し話がありましたが、昨年の十月七日の第三十八回本部幹部会の席上、池田大作は、徹底した対立者攻撃を展開するように、学会員を煽っています。  十月十一日付の聖教新聞には  「プラトンは述べている。『徹底的にどうしようもなく道を踏みはずした悪人に対しては、怒りをあらわにすべきである』  どうしようもない悪人には『怒り』をぶつけよ!――学会の精神も、これである。プラトンと同じである。  日蓮大聖人は『瞋恚(=怒り)は善悪に通ずる者なり』と仰せである。  悪に怒りを燃やすのは『善』なのである。  『燃え上がる怒り』がなくなったら、もはや『正義』の心はない。心は死んでいる。死んだ心に、功徳もない。喜びもない。幸福もない。  怒りの心を燃やして『戦闘』する! 『攻撃』する! 『追撃』する! これこそが仏法であり、正しき人間の道である。  草創の学会は、悪と徹底してケンカ≠オた。『戦闘精神』が、みなぎっていた。(中略)二十一世紀へ、もう一回、本当の『学会精神』を燃え立たせましょう!」 と、こういう講演をしているのです。  いったい、戦闘・攻撃・追撃することが仏法であり、人の道である、などと説く人が、どこにあるのでしょうか。  仏法というものは、慈悲の精神であり、また、社会的にも、そうであるからこそ、宗教団体として認められているのであります。  しかしながら、「徹底的に相手をやっつけろ」「完膚なきまでにやっつけろ」というようなことが、正しき人の道である、などということが、許されるでしょうか。  仏法の上からも、人間の道としても、許されることではありません。  それから、信平信子さんのレイプ事件のことが先程、話にありましたが、あれは本当だったろうと思います。  私は、昭和四十五年、言論出版問題の時に、上田雅一氏、後の副会長ですね、私と一緒の仕事をしていた関係から、池田大作の女性関係について、縷々悩みを聞かされました。  そのやり方はじつに巧妙であり、人にわからないように、密室で、その行為は行なわれていたのでありました。  池田大作の専用施設には全て風呂が付いているのは、何よりも、これを雄弁に物語っているのではないでしょうか。  私は驚いたのですが、男性の秘書に対しても、自分が風呂に入る時には、パンツを脱がせたり履かせたりする、それも秘書の役目であり、池田大作は突っ立っているだけでありました。  そのようなことは、女性秘書の場合も同じであったと思われます。  第一庶務という、創価学会には本部職員の部署がありますが、男性秘書、女性秘書、併せて約二十人ぐらいが、常に池田大作の世話をしておりました。  いろいろなことを言われていますけれども、池田大作の女性関係は事実であり、私はそれを証明するために、月刊ペン裁判に出廷いたしました。  しかしその時に、やはり、学会は母に対して、猛烈に圧力をかけてまいりました。裁判長宛てに、「私の息子の嵩は、生まれつきウソツキであり」といったような文面で文章を書くように、命じられたりしました。  そのような迫害があったのですが、私は証言台に立ちました。その時の、私に対する悪口讒謗(ざんぼう)のかぎりも、まことに筆舌に尽くせぬものがありました。

まことに危険な自自公政権

学会の跋扈を断じて許すな

 とにかく、池田大作という人は、自分の身を守ることだけを考えています。他の人がどのように攻撃されてもかまわないのです。自分さえ、批判されなければそれでいいのです。  そして、「そのためには、自分が権力を乗っ取らなければダメだ」「自分が天下を取らなければダメだ」という、それがまさに第二の天性ともいうべき、彼の性根となってしまったのであります。  皆さん、自自公連立政権というものは、まことに危険です。  池田大作は、天下を取る、すなわち、自分の力で何でもできる世の中を作る、そういうことを夢に描いている人物であります。そして、周りもそれに右へ倣(なら)えであります。  このような人間に天下を取らせたならば、それは、日本国民の最大の恥になります。それのみならず、信教の自由が侵されます。  思想・信教の自由というのは、憲法二十条に保障された、じつに重要な法律であります。それが踏みにじられていくのであります。  しかも、以前は新進党という隠れミノ、今は自民党という隠れミノを最大限に利用して、秘かに天下を取ることを狙っているのです。  昭和四十五年の言論出版問題までは、池田大作は公明党の単独政権を考えていましたが、言論出版問題があってから、自民党にすり寄っていったのです。表向き、どんなに革新的なポーズを取っていても、いつも自民党田中派と深く結んでいたのであります。  こうしたことが、先だって亡くなった二階堂進衆議院議員の、総裁擁立劇という形となって表われましたし、さらにまた、新進党の小沢さんと手を結び、あるいはまた、今度は自民党と手を結ぶというふうに、今まで反対し続けてきたことを賛成に回ってでも、クルクルとどんなにめまぐるしく主義主張を変えてでも、どうしても天下を取る、そのこと自体が目的となっている団体であります。  これほど国民を愚弄した話はありません。  そのための国会の駆け引きであり、攻防戦であって、国民不在というべきであります。  『自由の砦』にも幾たびか書いてありますが、自自公連立内閣に対して、国民の大多数が大反対しています。それも公明党と連立するから、という理由が、最大の理由になっているのです。  私は、長い間、池田大作の側近としておりましたので、彼の性分はよく知っております。とことん、対立者を追いつめ、時には「自殺に追い込め」などという言葉を吐くほどの人物であります。  こういう人間の抜扈(ばっこ)を許しているならば、それは日蓮正宗のみならず、国民自体の大きな損失となるでありましょう。これを断じて、私達の手で防がなくてはなりません。

欲の張り合いで築かれた学会

国民のためにも学会の野望阻止を

池田大作が、昭和五十四年四月に、会長を辞任し、日蓮正宗の法華講総講頭も辞任しましたが、それは日蓮正宗との和解の道を開こうと思ってやったことでしょうが、それを利用して、今度は、自分が「名誉会長」という一段上の立場に立ったように学会員に印象づけ、さらに、北条さんを中心とする新執行部に対して、「規則・会則」というのがその頃でき上がりましたが、「そんなものは手段である。私自身が創価学会の魂である。私を永遠の師と定める誓書を出さなければいけない。私を怒らせたら怖いぞ」などと突き上げたのです。  『永遠の師』というのは、日蓮正宗にあっては、日蓮大聖人お一人であります。それを、全副会長の署名入りで提出させ、池田大作の了解を求めさせた、ということがありました。その時に私は、まことに恐ろしい人物だと思いました。  人に対する信頼というものがなく、猜疑心ばかり旺盛で、ただ、必死に権力を求めようとする、飽くなき権力・金力の亡者である、池田大作の素顔を、私はその時も、間近に見てしまったのであります。  池田大作も、悪いですが、側近も悪いのです。いつも「先生、先生」といって、持ち上げていなければ生きられない組織であるからこそでありますが、しかしながらそれに甘んじている、池田大作の側近達も悪いのです。  両方の欲と欲がお互いに引っ張り合って、あの醜悪な、巨大な、モンスターのような団体を築いてしまったのであります。  その点、私も、深く反省しております。 被害者の会の皆さん、本当にこれからが正念場であると思います。  今の日本の国に、わずか一万人の被害者の会でありましょうけれども、たしかに創価学会の数からすればずっと少ないでしょうけれども、しかし、大多数の国民がそのバックボーンにあるのです。私達は、その国民の信頼に応えて、断じて池田創価学会の野望を阻止しなければならないと思います。  私も今までは、自分の病気ばかりを苦にしておりましたが、これからは皆さんと手を携えて、共々に新しい時代を築いてまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。(拍手)  今日の私の話は、少々、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだりいたしましたが、あえて原稿を書かずに、皆様方と懇談をするような気持ちでお話をいたしました。  どうか、私の話の心を十二分に汲み取っていただきまして、今後の活動に活かされますよう、お願いいたしまして、私の講演に替えさせていただきます。  ご静聴ありがとうございました。(拍手)

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