夕食後、私達は、大きなアームチェアーの部屋に戻りました。そして、あり余るプレゼント(※ミリーには、大きな人形と計算機。私達には、真珠、トインビー・池田会談の記念アルバム、トインビー・池田会談のサイン入り本など)を贈られました。
やっと神経のひどく疲れる夜が終わりましたが、私達の頬(ほほ)は、ヒビが入ったような感じに引きつっており、心は、わずかばかりの会話や冗談をしていただけなのに、すっかり疲れ果ててしまいました。
私達は、白いドレスでおじぎをして見送る女性達の群れと、カメラの前をすぎて、リムジンへと逃げ込むように乗りました。
翌日、創価学会の全国紙『聖教新聞』の第1面に、夕食時の私達の写真と対談の模様が載っていました。<注4>
記録(録音)されているなどとは、誰も教えてくれませんでした(もっとも、載っているのは主に池田氏の言葉を伝えたもので、私達は、池田氏の支持者のような形で出ているだけだったの、で大したことではありませんでしたが)。
私達は、さらなる褒め言葉や宴会と、地方の創価学会組織の歓迎を受けるために、京都と広島へ向けて出発しました。