偽造写真事件判決全文
                      

99年12月6日、東京地裁(梶村太市裁判長)判決全文

平成五年(ワ)第七九七七号           

謝罪広告等請求事件 (口頭弁論終結日 平成一一年七月一九日)    

判  決

静岡県富士宮市上条二〇五七番地  

原      告 日 蓮 正 宗  

右代表者代表役員   阿 部 日 顕

右同所  

原   告   大  石  寺

右代表者代表役員 阿 部 日 顕

原告ら訴訟代理人弁護士 小長井 良 浩

    同  樺 島 正 法

    同  菅  充 行

    同  有 賀 信 勇

    同  田 村 公 一

    同  西 村 文 茂

    同  大 室 俊 三

    同  荘 司  昊

    同  川 下  清

東京都新宿区信濃町二三番地  

被    告

池 田 大 作

東京都新宿区信濃町三二番地

被    告 創 価 学 会  

右代表者代表役員 森 田 一 哉  

被告ら訴訟代理人弁護士 倉 田 卓 次

    同    宮 原 守 男

    同     倉 科 直 文

    同     佐 藤 博 史

   主  文  

一 被告創価学会は、原告ら各自に対し、一人につき二〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、本判決二項の支払と連携して支払え。  

二 被告池田大作は、原告ら各自に対し、一人につき一〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月一八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を、本判決一項の支払と連携して支払え。  

三 原告らのその余の請求を棄却する。  

四 訴訟費用は、全体を二五〇分しその一を被告の、その余を原告らの負担とする。  

五 本判決一、二項は、仮に執行することができる。     

事実及び理由

第一 当事者の求めた裁判  

一 原告ら(請求の趣旨)  

1 被告らは、原告らに対し、聖教新聞社の発行する聖教新聞及び創価新報の各第一面最上段並びに大白蓮華及びグラフSGIの各表紙裏全頁を使用して、全四段で、左記により、別紙五記載の謝罪広告を各三回掲載せよ。     記   @見出「謝罪広告」は六六級活字  

A本文は二〇級活字   

B氏名は二八級活字  

2 被告らは、別紙A並びにB1及びB2の偽造写真を使用し、又は、株式会社中外日報社その他の第三者をして使用せしめてはならない。  

3 被告らは、原告らに対し、連帯して、各五億円及びこれらに対する平成四年一一月一八日(請求原因たる不法行為の日以降の日)から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は、被告らの負担とする。

5 仮執行宣言  

二 被告ら  

(本案前の答弁)  

1 本件訴えをいずれも却下する。  

2 訴訟費用は、原告らの負担とする。  

(請求の趣旨に対する答弁)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。  

2 訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二 事案の概要  

一 本件は、宗教法人である原告らが、同じく宗教法人である被告創価学会に対しては、同被告の機関紙である創価新報に掲載された後記本件記事中における後記本件写真の掲載及び後記本件問題部分の記載により原告らの名誉、信用が毀損されあるいは業務が妨害されたとして、被告創価学会の名誉会長である被告池田大作に対しては、被告創価学会のなした本件記事掲載の違法行為を容認、指導する後記本件発言により、また、被告創価学会の本件記事掲載の違法行為を制止すべき義務に違反したことにより、原告らの名誉、信用が毀損されあるいは業務が妨害されたとして、それぞれに対し不法行為に基づき損害賠償金とこれに対する遅延損害金の支払及び謝罪広告の掲載並びに本件写真の使用禁止を求めた事案である。  これに対して、被告らは、まず、原告らが求める判決主文(請求の趣旨)につきこれが不適法であるなどとして本件訴えの却下を求め、次に、被告創価学会に対する請求について、本件記事は阿部日顕を対象とした報道であって原告ら法人の名誉を毀損するものではないこと、本件記事の内容は真実であること(いわゆる真実性の抗弁)、本件記事の掲載は宗教教義上の論争として違法性を欠くことなどを主張し、被告池田大作に対する請求について、本件発言自体原告らの名誉等を毀損する内容のものではないこと、原告らの主張する被告池田大作の制止義務の根拠はどこにもないことなどを主張して、いずれの被告との関係においても、原告らに対する名誉毀損等の成立を否定し、原告らの請求の棄却を求めたものである。  

二 前提事実(証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)  

1 当事者

(一)原告日蓮正宗  原告日蓮正宗は、宗祖日蓮立教開宗の本義たる弘安二年の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。現在、原告日蓮正宗の代表者代表役員は阿部日顕である(弁論の全趣旨)。

(二)原告大石寺  原告大石寺は、日蓮正宗宗制に定める宗祖日蓮所顕十界互具の大曼荼羅を本尊として、日蓮正宗の教義をひろめ儀式行事を行い、広宣流布の為め信者を教化育成しその他正法興隆、衆生済度の浄業に精進するための業務及び事業を行うことなどを目的とする宗教法人である。現在、原告大石寺の代表役員は阿部日顕である(弁論の全趣旨)。

(三)被告創価学会  被告創価学会は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行い、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行うことを目的とする宗教法人である。現在、被告創価学会の代表者代表役員は森田一哉である(弁論の全趣旨)。

(四)被告池田大作  被告池田大作は、昭和三五年五月三日に被告創価学会第三代会長に就任し、昭和五四年四月二四日に被告創価学会名誉会長に就任して、現在に至っている者である(争いがない)。  


2 創価新報の本件記事(本件写真及び本件問題部分)

(一)被告創価学会は、平成四年一一月四日付創価新報を右同日ころ発行し、同紙四面に別紙三記載のとおりの記事(以下「本件記事一」という。)を掲載した。  本件記事一には、「得意のポーズでご満悦―。また出た、日顕の芸者遊び℃ハ真」との説明のもとに、和室の部屋の中で阿部日顕と二人の女性が写っている写真(以下「本件写真一」という。)が掲載されており、右説明部分の他に、「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「まだ信伏随従するのか」「芸者の世界は日顕の心の故郷!?」「政子がとめても酒がやめられない≠ニ本音」との見出し及び「『私たちはだまされていた』『やはり、日顕は大嘘(うそ)つきだった!』―。とどまるところを知らない日顕と日顕宗中枢の悪行の数々に、宗内のみならず全国の法華講も激怒。各地で脱講者が相次いでいる。このように次から次へと悪事が露見していることこそ、大聖人が、日顕の悪に対して厳しく裁かれている何よりの証(あかし)でもあろう。もはや日顕に信伏随従することは地獄への特急券≠手にしているのと同じだ。ここでは新たに明らかになった新事実≠交え、日顕と日顕宗僧侶たちの醜(みにく)い正体≠改めてお知らせする。全国の法華講員、檀徒の皆さん、これでもあなたたちはまだ、日顕に信伏随従≠キるのか。」とのリード部分の記載があり、そして本文において「お待たせしました! またまた出ました、日顕の芸者写真!!今度は日本髪の芸者さんを前に、一本指を立ててお得意のポーズ。何とも楽しそうな顔だ。怒ってばかりいる瞬間湯沸かし器≠ゥらは想像もできない。」「『日顕の遊び癖だけはどうにもならない。でも、あの性格だから、周りからは何にも言えないんだ』『芸者の世界にいると、彼の心は生まれ故郷に帰ったように安らぐのかもしれない。なにせ、彼の母親や政子の母は、その関係者だったのだから』と、ある老僧や宗門関係者。」「日顕の酒好き、遊び好きには、夫人のイメルダ政子≠熾(あき)れているようだ。しかし、この夜も、周囲に勧められるままに、五合以上の酒を飲んでいたというのだから、とんだお調子者≠ネらぬお銚子者 がいたものだ。開いた口が塞(ふさ)がらない。」「法主がこんな下劣な男であるから、取り巻きの役僧も末寺の僧侶も放蕩(ほうとう)・好色爺(じじい)ばかり。」「ああ、希代の遊蕩坊主・日顕。そして、好色教団・日顕宗。」との記載がある(以上の説明部分、見出し、リード部分及び本文の記載をまとめて、以下「本件問題部分一」という。)。  なお、本件記事一の「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「まだ信伏随従するのか」の各見出しは、いずれも本件記事一の左側の紙面から続く「哀れな法華講よ!日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「こんな法主にまだ信伏随従するのか」との各見出しの一部分である。

(以上、甲一、乙一、五)

(二)被告創価学会は、平成四年一一月一八日付創価新報を右同日ころ発行し、同紙三面に別紙四記載のとおりの記事(以下「本件記事二」という。)を掲載した。  本件記事二には、阿部日顕と七人の女性が正面を向いて写っている写真(以下「本件写真二」という。)が掲載されており、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ 猊座がなくても芸座≠ェあるサ」「これぞ極めつけ『ワシ、もう成仏≠オそう』」との見出し、「なんとこれは『日顕堕落宗』の総会か? いやいや、とある超高級料亭での一場面です。相も変わらぬ大尽風を吹かせた日顕クン、この日は特に興に乗ったのか、一座と写真に納まる大サービスぶり。ぶ厚い座布団に鎮座して脂下がった顔での記念撮影≠ニ相成った次第です。どうですか、居心地の良さそうなこの顔=B周りをズラリと芸者衆に囲まれて、いかにもうれしそう。きみたち、もっと近う寄れい。中啓で殴るのは僧侶だけだよ。おじさん怖くないからね。できればシアトルのスチュワーデスのように、頭を撫で撫でしれくれるとワシ、もう成仏なんだけどナー=B半ば口を開いて、今にも話し出しそう。これが日顕クンの半眼半口≠フ成仏の相とは、イヤハヤ恐れ入りました。それにしても、このノーテンキな尊顔をジーッと拝していると、このオジンの脳ミソの中には果たして『広宣流布』という文字はあるんだろうかと、信伏随従≠オている法華講ならずとも心配になります。京の軟風にかぶれた三位房を弾呵された日蓮大聖人がこの写真を御覧になったら……なんて考えるだけで、ソラ恐ろしい気がします。でも、当の御本人はそんな心配はどこ吹く風。シアトル事件、C作戦なんて怖くない。だって猊座を追われてもワシにはちゃんと別の芸座≠ェあるからね、とばかり日顕芸下≠ヘ、今日も遊行≠ヨと、いそいそ御出仕するのでアリマスル。」との本文が記載されている(以上の見出し及び本文の記載をまとめて、以下「本件問題部分二」という。)。  (以上、甲三、乙五)

(三)創価新報は、被告創価学会の学会員向けの旬刊(月二回発行)の機関紙であり、約一五〇万部の購読がある(弁論の全趣旨)。  (本件記事一及び同二を併せて以下「本件記事」といい、本件写真一及び同二を併せて以下「本件写真」といい、本件問題部分一と同二を併せて以下「本件問題部分」という。)  

3 被告池田大作の本件発言  被告池田大作は、平成四年一一月一四日、「第一五回SGI(創価学会インタナショナル)総会、第四回埼玉総会(場所・創価大学記念講堂)において、同所の集まった創価学会員に対してスピーチをし、その中で以下の発言をした(以下「本件発言」という。)。右スピーチの様子は、全国の主要な創価学会会館において衛星放送で同時放映された(検証の結果、甲二、弁論の全趣旨)。  「凡夫と仏の違いはどこにあるのか。凡夫はボンクラで、仏は一人偉ぶっているというのかどうか。大聖人は、その正反対に、法華経を信ずる者は仏なり。ねえ、大変に有り難いお言葉です。法華経を信ずる者は仏なんだと。そう見るのが仏である。そう見ないのが凡夫なのである。ねえ、この野郎の首を切りたい……、そんな仏はほっとけですよ。ねえ、あいつらは、この野郎……、そんな大聖人の仏法にも全部反している……。情けない男たちです。男だけならいいけれども、そのうち、また、あの、あれ出ますけれどね、新報に、この次かな、これちょっと見してもらったけれどね……。たくさんの美女に囲まれてね。そうだろ、秋谷君、やめろっつたら、秋谷やるっつんだもの。もう、新橋かどっかのね、柳橋でさあ。もう……えっへへへへへへと笑ってね。まあ、みんな……、あー、行きたいね、一遍ね。……そういう連中なんです。」  「SGIこそが教行証を兼ね備えて進んでいる教団なのであります。宗門は教、すなわち御書も軽視している……。一部分だ。行、修行は全くないげい座ですよ。げい座っつうのはね、本当は正法の座を猊座、芸者の方は芸座……。今度は新報見たら、みんなびっくりするだろう、どうだ。私は『出すな出すな』ったんですよ。でも、まだいっぱいあるっつうんですよ。で、やめろつったんですよ。で、少しはやっぱりね、ああいう連中は、あのー、どこ行っても学会人いるから、もうみんな知ってんですよ。みんなもう写真にも撮ってあんですよ。また坊さんがみんな送ってくんです。もううちのね法主どうしようもないからっつてね。もういっぱい送ってくんです。うちじゃなくて坊さんの方なんですよ、戒めてくれっつって。で、宗門は教、行もない、だから当然、成仏も証もない。ね、金儲けはうまい。成仏はできません。まさにこれを法滅の姿という。……法を滅する。」

第三 当事者の主張  

一 請求原因及び他の原告らの主張    別紙一記載のとおり  

二 被告らの主張    別紙二記載のとおり

第四 当裁判所の判断  

一 被告創価学会に対する請求  

1 本件記事の内容  本件記事一は、一般の日刊紙大の創価新報の紙面一面のほぼ全体を使って以下の内容を大きく報じたものである。すなわち、同紙面の左端から右端にかけて約四・五センチメートルの高さで「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」との横書きの大見出を掲げ、更に、「芸者の世界は日顕の心の故郷!?」「政子がとめても、酒はやめられない≠ニ本音」などの見出しの下に和室の部屋の中で阿部日顕が食膳や徳利を前にして座り、二人の着物姿の女性のうちの一人と対座して写っている本件写真一を「得意のポーズでご満悦―。また出た、日顕の芸者遊び℃ハ真」との説明を付した上で縦約一二・五センチメートル横約一七センチメートルの大きさで掲げているものであるところ、その本文の内容は多岐にわたりやや支離滅裂気味ではあるが、その大要は、その冒頭で「お待たせしました! またまた出ました。日顕の芸者写真!!」と述べて最初に本件写真一について言及していることからも明らかなように、阿部日顕の芸者同伴の酒席への出席の事実の存在を示唆する本件写真一を基礎として、阿部日顕を「とんだお調子者≠ネらぬお銚子者=v「下劣な男」「希代の遊蕩坊主」などと評し、結論として本件記事一の読者に対し「日顕に信伏随従≠キるのか」などと阿部日顕や原告らへの信仰を捨てるように呼びかけをしたものである。  そして、本件記事二も、創価新報の紙面一面のほぼ全体を使って以下の内容を大きく報じたものである。すなわち、和室の部屋の中で阿部日顕が食膳やビール瓶を前にして座り、日本髪で着物姿の女性七人と共に並んで写っている本件写真二を記事全体の大半を占める大きさ(縦約二七センチメートル横約二九センチメートル)で掲げ、「えっ、これじゃ『日顕堕落宗』?」「退座の後はここにキマリ 猊座がなくても芸座≠ェあるサ」「これぞ極めつけ『ワシ、もう成仏≠オそう』」との見出しを大きく掲げているものであるところ、本件記事二の内容は、やはり阿部日顕の芸者同伴の酒席への出席の事実の存在を示唆する本件写真二を基礎として、右写真における阿部日顕の顔つきを「脂下がった顔」「半眼半口≠フ成仏の相」などの揶揄的、侮蔑的な表現で形容するなどして人身攻撃的に阿部日顕を評したものである。  

2 原告らの社会的評価の低下

(一)前記前提事実に加えて弁論の全趣旨によれば、原告ら及び阿部日顕に関して、以下の事実が認められる。

(1)原告日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人の立教開宗の本義たる弘安二年(一二七九年)の戒壇の本尊を信仰の主体とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、宗祖より付法所伝の教義をひろめ儀式行事を行い、広宣流布のために信者を教化育成し、寺院及び教会を包括し、その他この宗の目的を達成するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人であり、法規として日蓮正宗宗制、日蓮正宗宗規等を有している。

(2)原告大石寺は、多宝富士大日蓮華山大石寺と称し、正応三年(一二九〇年)一〇月、宗祖日蓮大聖人の法嫡第二祖日興上人によって開創された全国に七百余箇寺の末寺を有する日蓮正宗の総本山であり、日蓮正宗宗制に定める宗祖日蓮大聖人所顕十界互具の大曼荼羅(右弘安二年の戒壇の本尊)を本尊として、日蓮正宗の教義をひろめ、儀式行事を行い、広宣流布のため、信者を教化育成し、その他正法興隆、衆生済度の浄業に精進するための業務及び事業を行うことを目的とする宗教法人である。

(3)阿部日顕は、現在、原告日蓮正宗及び原告大石寺の代表者代表役員の地位にある者である。原告日蓮正宗においては、その代表者たる代表役員には、一宗を総理する「管長」の職にある者を充て、その管長には宗祖日蓮大聖人以来の唯授一人血脈を相承する「法主」の職にある者が就任する定めであるが、阿部日顕は、第六七世の法主である。阿部日顕は、原告大石寺の住職であると同時に日蓮正宗総本山法主として、また同宗の宗教上の最高指導者として一宗を統率する立場にあり、同宗宗祖の仏法の一切を一身に所持する唯一の承継者として、同宗の全ての僧俗から勝れて高い尊崇を受ける立場にある。

 (二)阿部日顕の原告らにおける立場ないし地位についての右認定事実を前提として検討するに、本件記事における本件問題部分は、いずれも本件写真を基礎として阿部日顕が宴会で酒を飲み芸者遊びをしている様子について、「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」「芸者の世界は日顕の心の故郷!?」「退座の後はここにキマリ 猊座がなくても芸座≠ェあるさ」(なお、弁論の全趣旨によれば、「猊座」とは原告日蓮正宗の法主たる地位の日蓮正宗関係者内での呼称であることが認められる。)「これぞ極めつけ『ワシ、もう成仏≠オそう』」などの大きな見出しと共に、本文においても揶揄的、侮蔑的な表現を並べて述べるに終始する内容のものであるところ、一般に、団体としての宗教法人に対する世間の評価とその崇拝の対象ともいうべき信仰上の最高指導者に対するそれとを切り離して観念することはその性質上極めて困難なことというべきであるから、かかる団体にあっては、その信仰上の最高指導者について、その宗教者としての適格性に疑義を生じさせるような内容の新聞記事は、それが私生活の行状等に関する事実記載ないし論評であったとしても、まさしくその宗教法人の団体自体の社会的評価の低下を来すものと解されること、そして、もとより宗教法人はその団体の性質柄、殊更に清廉かつ禁欲的な印象を大切にするものであることはいうまでもないことからすれば、阿部日顕を法主としてその宗教上の最高指導者として擁する原告らの社会的評価は、本件問題文部分により相当程度低下したものと認めるのが相当である。また、本件問題部分中の「好色教団・日顕宗」「これじゃ『日顕堕落宗』?」などの記載は直接原告らに対して向けられたものに他ならず、すなわちそれは原告らの社会的評価を直接に低下させるものと評価することができる。  そして、阿部日顕が芸者とおぼしき女性と同伴で酒席に臨んでいる様子が見て取れる本件写真も、かかる本件問題部分の記載と一体として見た場合に、やはり右にような見地から阿部日顕を宗教上の最高指導者とする原告らの社会的評価をより一層低下させるものということができる。

(三)ところで、本件写真がいずれも被告創価学会において原写真を加工したものであることは当事者間に争いがないところ、そこで原写真に施された加工の具体的な内容についてみるに、証拠(甲一、三、乙五九、六〇)によれば、本件写真一については、原写真には阿部日顕の他に二名の宴席出席者の男性が写っているのに対して、本件写真一ではそれらの人物が抹消ないし写真の中に収まらないように写真の両端が切り落とされて加工されている点、原写真にはその正面背景に写っていた床の間の生け花、書院の障子窓等が本件写真一では抹消されている点、本件写真二については、原写真には阿部日顕の他に二名の宴席出席者の男性が写っているのに対して、本件写真二ではそれらの人物が写真の中に収まらないように写真の両端が切り落されている点、原写真には背景として写っていた生花や額入絵画等が本件写真二では抹消されている点、そして、本件写真に共通するところでは、写真に写っている女性達にはアイマスクの加工が施されている点が、いずれも被告創価学会により施された加工のうち主要なものと認められる。  そこで、本件写真が原写真を加工した写真であることが本件記事の名誉毀損の成否等に如何なる影響を与えるかについて検討する に、本件写真とその原写真とを比較すると、いずれも前者においてはそこに写っている男性が阿部日顕だけであることから、あるいは本件写真撮影当時酒宴にいた男性は阿部日顕一人きりであったとの印象をそれを見た者に対して抱かせる可能性があるとこ ろ、阿部日顕が「色」について堕落している旨示唆する本件記事一の「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」との見出しや阿部日顕が芸者を好むことを示唆する本件記事一及び同二の「芸者の世界は日顕の心の故郷!?」「猊座がなくても芸座≠ェあるサ」との各見出し等の記載とそのような加工が加えられた本件写真とを併せ見れ ば、その読者は阿部日顕が芸者遊びが好きで女性関係で堕落している人物であるとの印象をより強く抱きかねず、本件写真の代わりにそれぞれ原写真を本件記事に掲載した場合を想定してこれと比べれば明らかなよう に、本件記事においては少なくとも本件写真が阿部日顕ひいては原告らの社会的評価をより一層低下させるものというべきであ る。

(四)以上のとおり、本件記事は原告らの社会的評価を相当程度低下させるものと認められる。  

3 本件記事内容の真実性(真実性の抗弁)  被告らは、本件記事はその主要部分が真実であるから、名誉毀損は成立しないと主張するので、以下この点について検討する。

(一)一般に、新聞記事による名誉毀損の不法行為は、問題とされる表現が、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価を低下させるものであれば、これが事実を摘示するものであるか、又は意見ないし論評を表明するものであるかを問わず、成立し得るものである。  そして、ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである。

(二)これを本件についてみるに、本件問題部分はいずれもそのほとんどが本件写真を基礎としての意見ないし論評の表明というべきものであるところ、そもそも本件記事では意見ないし論評の前提としている具体的事実が何であるかをその紙面から了解することはできない。すなわち、本件写真はそれを見た者に対して阿部日顕が芸者同伴の酒席に出席していたとの印象を与えるものであるが、その撮影における具体的な状況が写真自体から直ちに理解できるようなものでないにもかかわらず、本件記事中の記載においては本件写真の撮影者、撮影日時、撮影場所等がほとんど触れられていないのであって、本件記事自体からは意見ないし論評の前提となる具体的事実を窺い知ることができないのである(しかも、前述したように、本件写真はいずれも原写真に一定の加工を施したものである。)。  そうであれば、本件問題部分の記載は、いわば明確な根拠を示すことなく他人の悪口を書き立てているのと同じであり、先に見た違法性判断の利益衡量の背景にある表現の自由の観点からも、これを享受すべき具体的事実を前提とした公正な論評とは到底いい難いものであって、それは阿部日顕ないし同人を宗教上の最高指導者として擁する原告らに対して単に揶揄、侮蔑、誹謗、中傷を並べたに過ぎないものという他ない。写真を基礎とする論評記事の執筆・掲載に際しては、写真が余程明確にそれ自体で具体的事実を物語るようなものである場合は格別、そうでない限りはその写真が如何なる具体的事実を示すものかについて本文の記事中で補充して説明することにより、その写真が指し示す具体的事実、更にはその写真と論評部分との関連性を積極的に明らかにしておくべきであり、これが明らかにされていない意見ないし論評で他人の名誉を毀損するものについては、もはや一定の事実を基礎とした意見ないし論評足り得ず、その違法性を欠く余地はないというべきである。  もっとも、本件写真を見た者においては本件写真から阿部日顕が芸者同伴の酒席に出席したとの漠然とした印象を受けることができるものと思われるから、本件問題部分について、宴席の具体的な日時・場所、宴席の趣旨や他の出席者の面々等が不明の宴席に阿部日顕が出席していたという程度の抽象的な事実を基礎としてなされた意見ないし論評とみることが全くできないわけではない。しかしながら、仮にそのように理解したとしても、右事実についての意見ないし論評としては、「日顕が欲すは『カネ、酒、色』の堕落道」などの本件問題部分の表現は余りにも飛躍した激烈なものであり、まさに論評としての域を逸脱したものという他なく、やはりその違法性を免れないというべきである。  また、本件写真は前述したように被告創価学会による加工が施された後のものであるが、証拠(証人高木、甲八五)によれば、加工前の写真は昭和六一年一一月二二日に原告日蓮正宗の二名の僧侶の古稀記念祝賀会として催された宴席の様子を写したものであること、右宴席は高級料亭において芸者同伴で催されたものではあるが、右宴席には阿部日顕の他に原告日蓮正宗の僧侶一一名と阿部日顕夫人も含めて右僧侶の夫人ら八名が出席していたことがそれぞれ認められるところ、そのような宴席が存在した事実を前提とした意見ないし論評と理解したところで、本件問題部分における記載は論評の域をはるかに逸脱したものであることは明らかである。  確かに、阿部日顕は多数の信徒を抱える原告日蓮正宗の宗教上の最高指導者であり、宗の内外を問わず公的な立場にあるものと解されるから、その行状がある程度厳しい批判に晒されることは覚悟すべきであって、その限りにおいては、阿部日顕ないし原告らに対する名誉毀損の成否において本件では相応の配慮がなされるべきものとしても、本件問題部分の表現内容と本件写真撮影時の事実関係を照らし併せてみれば、その違法性は社会通念上決して容認できない程度に至っていることは明らかであり、本件において未だ名誉毀損の成立は妨げられないというべきである。

(三)被告らは、本件記事の主要部分は、阿部日顕が日蓮正宗の聖職者の頂点である法主の座にありながら、信徒の供養を湯水のように使って、たびたび豪華な宴席を開くなどして酒を飲み続け、しかもしばしば色香豊かな芸者衆と共に遊興していた堕落法主であることを指摘するものであり、右主要部分は真実であるから、本件記事の掲載は違法ではないなどと主張し、本訴の審理において、本件記事中に全く顕れていないような阿部日顕が酒を飲み芸者と遊興している諸事実の存在についても、その立証のために様々な立証活動を展開した。  しかしながら、如何に不道徳な行いを繰り返しているような人物であったとしても、左様な人物において何らその根拠となる具体的事実を示されることなくして、誹謗、中傷の言論による人身攻撃を甘受すべきいわれはないのであるから、被告創価学会が本件記事の掲載にあたってその主題として如何なることを考えていたとしても、本件記事中において具体的に触れられていない事実については、たとえそれが本件問題部分の表現に値するような宗教者として世間から非難を浴びてしかるべき事実であったにせよ、それは本件において真実性の証明の対象たる本件記事の主要部分たり得ない。本件記事の体裁及びその全体的な内容をみれば、被告らのいう主要部分は、本件記事においてはいわば本件写真が物語る事実に尽きるのは明らかであって、すなわち被告らの右主張は理由がないというべきである(そして、前述したように、本件写真が指し示す事実が何かは本件記事全体から決して明らかではないから、本件記事においては被告らのいう主要部分の存在は無きが如しである。)。

 4 本件記事の掲載が宗教論争であること  被告らは、本件記事の掲載は宗教教義上の論争であることから違法性がない、更にはそもそも宗教論争の一環である本件記事掲載についての違法性は裁判所が判断すべき事項ではないなどと主張する。  確かに、本件全証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告らと被告創価学会はいずれも日蓮正宗の教義に基づく宗教団体であり、かつては同盟関係ともいうべき協調関係にあったものの、平成二年末ころから鋭く対立する関係となり、以降現在に至るまで、双方ともそれぞれの機関紙上でそれぞれ相手方の最高指導者である阿部日顕及び被告池田大作の行状や人格等についてお互いに激しい攻撃の言論を繰り返してきていることが認められる(阿部日顕の行状等に関連する被告側発行の記事に、本件記事の他、甲一一、一九ないし三一、甲三五ないし四三、四五、四七ないし四九、乙四八、五四、五五、五七、七二の一ないし三、乙七三の一ないし三、乙七五、七六の一、二、乙八八ないし九六等の「創価新報」「聖教新聞」の記事があり、被告池田大作の行状等に関連する原告側発行の記事に、乙一一八の一、二、乙一一九ないし一二四等の「妙観」「慧妙」の記事がある。)。  しかしながら、本件記事は、どのような具体的事実が、どのような原告らの教義に、どう違反しているのかについて、ほとんど触れてはおらず、かかる本件記事の内容をみれば、本件における名誉毀損成否の判断にあたって、原告らの教義内容に立ち入る必要がないことは明らかというべきであるし、仮に真実阿部日顕が原告らの教義に違反する人物であったとしても、本件記事のように、具体的な事実を示さずにする他人に対する人身攻撃的な言論の違法性が、それ故に消失する理由はない。また、教義の解釈等をめぐり深遠な議論が展開しているというのであれば格別、本件記事のような内容そして態様で繰り広げられている人身攻撃の筆戦を宗教論争と呼ぶのであれば、そのような宗教論争について裁判所がその違法性を判断するのは容易なことであって、裁判所が判断することにより被告創価学会の信教の自由が侵されるなどということがあるはずもない。原告らの宗教上の最高指導者である阿部日顕が公的な地位にあることから同人に関する言論の違法性については相応の配慮がなされるべきであることを考慮に入れても本件問題部分が違法との評価を免れないことは前述のとおりであるし、宗教関係者も世間一般の社会のルールを守るべきは当然のことであるから、被告らが宗教団体ないし宗教者であることは特に本件記事の違法性の判断に影響を与えるものではないというべきである。  したがって、本件における宗教論争であれば違法性がなくなるなどとする被告らの右主張は独自の立論に過ぎないという他はない。

 5 小括  以上のとおりであるから、本件記事は、いずれも違法・有責に原告らの社会的評価を相当程度低下させるものと認めるのが相当である。

 二 被告池田大作に対する請求  

1 本件発言の内容  本件発言は、被告ら関係者以外の一般人にとっては非日常的で宗教的な単語が使用されている上、断片的な話し方でされたものであるため、一見するとその意味するところを正確に理解することは難しいが、本件発言当時の状況等に照らせば、次のような趣旨の内容と認められる。  まず、本件発言が平成四年一一月一四日になされたものであることからすれば、本件発言中の「そのうち、また、あの、あれ出ますけどね、新報に、この次かな」との発言にいう「あれ」とは、本件発言直後に発行が予定されていた同月一八日付創価新報の本件記事二を指すものと理解でき、また同発言にいう「また」とは、「あれ」なる本件記事二が同月四日付創価新報に掲載された本件記事一に続く内容であることを示唆するものと考えられる。そして、本件発言中の「これちょっと見してもらったけれどね……。」との発言や「げい座っつうのはね、本当は正法の座を猊座、芸者の方の芸座……。今度は新報見たら、みんなびっくりするだろう」との発言、そして「みんなもう写真にも撮ってあんですよ。また坊さんがみんな送ってくんです」との発言や「たくさんの美女に囲まれてね。」との発言によれば、まだ本件記事二が一般に発行されていない本件発言時において被告池田大作が、本件記事二が「猊座がなくても芸座≠ェあるサ」との見出しを掲げていること、そして同記事が芸者とおぼしき女性七名と阿部日顕が一緒に写っている本件写真二を掲げていること等の本件記事二の記載内容を知悉していたことを推認することができる。また、「宗門」とは原告日蓮正宗のことであるところ、本件発言は、「宗門は教、行もない、だから当然、成仏も証もない。ね、金儲けはうまい。成仏はできません。まさにこれを法滅の姿という。」などと述べて、原告らを非難、攻撃したものと認められる。  すなわち、本件発言の大要は、創価新報への本件記事二掲載の実績を受けて、同記事に続く発行前の次号創価新報における本件記事二の掲載を予告し、更に阿部日顕の芸者同伴酒宴への出席を指摘する本件記事二の内容に触れ、それらに関連して原告らないしその関係者を批判したものであると認められる。  

2 本件発言自体による名誉毀損の成否  本件発言による名誉毀損の成否について検討するに、本件発言には「情けない男たちです。」「金儲けはうまい。成仏はできません」等の原告らないしその関係者に向けられた批判の発言があり、そこでは根拠を明示することなく原告ら関係者を非難、攻撃している様が窺えるものの、それらの表現がそれほど過激なものではないこと、本件発言中、名誉毀損に係るそれだけの理解可能なまとまりのある具体的事実の摘示は見当たらないこと、本件発言部分は約四五分間のスピーチ全体の内合計で約三分程度を占めるものに過ぎず(検証の結果)、その量は相対的にも絶対的にも決して多いものではないこと、スピーチ全体を通して原告らについての話がなされているわけではなく、スピーチの要旨は宗教的な説示を交えて述べる被告創価学会への称讃というべきものであって、それは原告らに対する非難に終始するような内容のものではないこと(甲五一)等の事情に照らせば、本件発言により未だ原告らの社会的評価が具体的に相当程度低下したものとは認められない。したがって、本件発言自体による名誉毀損はこれを認めることができない。  

3 被告池田大作の本件記事掲載の制止義務違反の有無

(一)被告池田大作の被告創価学会における地位  

(1) 前記前提事実及び弁論の全趣旨によれば、被告池田大作の被告創価学会における地位に関して、以下の事実が認められる。  被告池田大作は、昭和三五年五月三日に被告創価学会第三代会長に就任し、昭和五四年四月二四日に被告創価学会名誉会長に就任して現在に至っている。  昭和五〇年一月、世界各国の創価学会員からなる組織である創価学会インタナショナル(SGI)が結成されたが、現在、被告池田大作が同会の会長を務めている。  昭和五六年四月、被告池田大作は、最高裁判所の判決の理由中で、「同会(被告創価学会のこと)において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に重大な影響を与える立場にあったばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていた」と認められたことがある。  

(2) そして、被告池田大作が、現在においても被告創価学会の絶対的な最高指導者であることは世間一般に良く知られている事実である。  被告らは、池田大作が被告創価学会の信仰上の最高指導者であることは認める一方で(平成五年一二月一五日付被告ら答弁書)、被告創価学会の組織運営上の最高指導者であることは否定するが、そもそも、宗教団体とは、信仰を共にする者の集団であり、その運営は当然その信仰の強化発展のためになされるものであるから、特に象徴的な意味での指導者に過ぎないというのであれば格別、実質的な信仰上の指導者であれば、宗教団体の運営はその指導者の信仰上の指導に沿ってなされるのが当然であり、通常の場合、信仰上の最高指導者であることはすなわち宗教団体の組織の運営上も最高指導者であることを意味するというべきである。被告池田大作が特に象徴的な意味での被告創価学会の指導者に過ぎないと認めることはできない。

(二)そのような被告池田大作の被告創価学会において有する地位ないし立場に照らせば、被告創価学会の団体としての一般的な活動の中でなされた違法行為について、被告池田大作が自らそれを指導ないし容認していた場合に被告創価学会と連帯してその被害者に対して不法行為の責を負うことになるのは勿論であるが、被告池田大作がこれを事前に了知していたに過ぎない場合においても、同人には被告創価学会がそのような違法行為に及ぶことのないようこれを制止すべき条理上の義務があり、これに違反すればやはり不法行為に基づく責任を負うというべきである。  そこで本件についてみるに、本件発言の発言内容をみれば、本件記事二の掲載という被告創価学会の違法行為について被告池田大作がその予定を事前に知っていたことは明らかであり、そして、本件発言直後、実際に本件記事二が創価新報に掲載されて原告らの名誉が毀損されるに至ったのであるから、被告池田大作は本件記事二の掲載を制止せずにいたものと認めることができる。  確かに、被告池田大作の本件発言中には、被告創価学会の会長である秋谷栄之助に向かって本件記事二の掲載を制止していることを窺わせるような「秋谷君、やめろつったら、秋谷やるっつんだもの。」「私は『出すな出すな』ったんですよ。」などの発言があり、当時被告池田大作が本件記事二の掲載に反対していたかのような発言が認められるものの、右発言の間に「もう、新橋のどっかのね、柳橋でさあ。もう……えっへへへへへへと笑ってね。まあ、みんな……、あー、行きたいね、一遍ね。……祖いう連中なんです。」との阿部日顕ないし原告ら関係者に向けた発言があったり、その後に「で、少しはやっぱりね、ああいう連中は、あのー、どこ行っても学会人いるから、もうみんな知ってんですよ。みんなもう写真にも撮ってあんですよ。また坊さんがみんな送ってくんです。もううちのね法主どうしようもないからっつてね。もういっぱい送ってくんです。うちじゃなくて坊さんの方なんですよ、戒めてくれっつって。で、宗門は教、行もない、だから当然、成仏も証もない。ね、金儲けはうまい。成仏はできません。」との阿部日顕ないし原告らに対する批判の発言が続くことからすれば、結局のところ本件発言全体から、本件記事二の掲載に反対しこれを阻止しようとする意図を汲みとるのは困難という他なく、むしろ被告池田大作においては本件記事二の掲載という被告創価学会の違法行為の予定について認知していたのみならず、被告創価学会の事実上の絶対的な最高指導者として本件記事二の掲載を積極的に容認していたのではないかとの推測も成り立つところである。  したがって、被告池田大作には本件記事二の掲載を制止すべき義務の違反が認められる。  そして、被告創価学会の本件記事二を掲載した行為と被告池田大作の右制止義務違反行為(不作為)は社会通念上共同して原告らの社会的評価を低下させたものとの評価ができるから、本件記事二の掲載により原告らに生じた損害について、被告池田大作は被告創価学会と連帯して賠償する責を負うというべきである。  なお、被告池田大作が本件記事一の内容をその掲載前に知っていたと認めるに足りる証拠はないから、本件記事一の掲載については被告池田大作の責任を認めることはできない。  

三 原告らの損害等  

1 損害賠償の支払及び謝罪広告の掲載について  本件記事はいずれも一般の日刊紙大の紙面一面のほぼ全体を使って大きく報じられたものであること、そして本件記事が掲載された創価新報は約一五〇万部の購読を誇るものであることなどからすれば、本件記事の掲載等による原告らの損失は決して小さいものとはいえない。  しかしながら、本件記事の掲載された創価新報は被告創価学会の機関紙であり、原告らも含めた関係者以外の人が目にすることが多い媒体ではないため、その限りにおいては本件記事の世間一般に対する社会的影響がそれほど大きくないこと、また原告らは数百年前から続いている宗教に根ざす団体であるのだから、原告らの最高指導者たる法主であるとはいえ第六七代目の一法主に過ぎない阿部日顕の行状が原告らの全てを体現しているわけでもないこと、前述したように本件記事は名誉毀損的な具体的事実を列挙するものではなく、明確な具体的事実を示すことなく誹謗、中傷を並べる類の記事に過ぎないことから、具体的事実の指摘に伴う致命的な社会的評価の低下が原告らにおいて発生したとは認められないこと、これらの事情に照らせば、本件において原告らは損害賠償として合計で一〇億円もの支払を求めるが、本件記事の掲載等による原告らの損失はとてもそのような水準に及ぶほど大きいものであるとは認められない。  その他本件に顕れた一切の事情を加えて考慮すれば、本件記事の掲載により原告らの被った一切の無形の財産的損害は、本件記事一の掲載について各原告一人あたり一〇〇万円、本件記事二の掲載について各原告一人あたり一〇〇万円と認めるのが相当である。  また、原告らは、本件記事の掲載は原告らに対する業務妨害であるとも主張するが、原告らがその業務(宗教活動)において被った本件記事の掲載と相当因果関係の認められる具体的な実損害とその額については未だその立証がない。  したがって、本件記事を掲載した被告創価学会は、原告らそれぞれに対して、各二〇〇万円(及びこれに対する不法行為の日以降の日である平成四年一一月一八日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金)を支払う義務を負い、前述のとおり本件記事二の掲載の限りで責任を負う被告池田大作は、原告らそれぞれに対して、各一〇〇万円(及びこれに対する右同の遅延損害金)を支払う義務を負い、被告創価学会の右支払義務と被告池田大作の右支払義務は各一〇〇万円(及びこれに対する右同の遅延損害金)の限りで連帯債務となる。  更に、謝罪広告の掲載については、その性質上、その必要性が特に高い場合に限って命ずるのが相当であるが、本件記事の記載内容、原告らの社会的評価の低下の程度、本件で認容した損害賠償額等本件事案の内容を総合的に評価すると、本件においては金銭的な賠償に加えて謝罪広告の掲載の必要を認めることはできない。  

2 本件写真の使用禁止について  原告らは本件写真の使用禁止を請求するところ、右請求の根拠ないし右請求を構成する訴訟物は原告らの主張からは必ずしも明らかではない。原告らにおいて何らかの人格権(名誉権)なるものを観念し得るとしても、本件写真において直接の被写体となっている阿部日顕については格別、原告らにおいては本件写真の差止め請求の根拠となり得る実体的な権利を認めることはできない。  したがって、原告らの本件写真の使用禁止の請求は理由がない。  

四 本案前の抗弁  

1 被告らは、概略次のように述べて、本件訴えの却下を求める。

(一)本件訴えにおいて名誉毀損行為とされている本件記事の掲載等は原告ら被告ら間の宗教論争の一環として行われたものであるため、本件請求の当否を裁判所が判断することになれば、裁判所が原告日蓮正宗及び被告ら創価学会の教義問題に立ち入ることになる。

(二)原告らの謝罪広告請求(請求の趣旨第一項)はその内容が単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度を越えるため、そもそも裁判に馴染まない請求である。

(三)原告らが求める写真の使用禁止請求(請求の趣旨第二項)は請求の内容(被告らがなすべきでない行為)が特定されていない。  

2 しかしながら、前項までの判示から明らかなように、右(一)の主張は理由がなく、(二)、(三)の主張については、被告らが却下を求めている原告らの請求がいずれも棄却できるものであることから、判断の必要がない。  

五 結論  

以上の次第で、本訴請求は主文一、二項の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求については理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。     

東京地方裁判所民事第六部

       裁判長裁判官 梶村太市

       裁判官    平田直人

       裁判官    大寄 久

右は正本である。

平成一一年一二月六日

東京地方裁判所民事第六部

裁判所書記官 柴崎正人 印



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