池田大作レイプ裁判・控訴審

乱暴な事実審理なしでの棄却 「時効」で逃げ切った池田大作


池田大作レイプ裁判の経緯
歴史に残る高裁の迷判決 「宗教的呪縛」は単なる「気の迷い」1?
狂喜乱舞する池田創価学会 会員欺く「呆れた虚偽報道」
池田大作レイプ裁判の経緯
 池田大作レイプ裁判の控訴審判決が、七月二十二日、東京高等裁判所民事十九部(浅生重機裁判長)で言い渡された。  ここで、判決の内容ならびに当否に触れる前に、読者の便宜(べんぎ)のために、池田大作レイプ裁判の経緯を振り返っておこう。  周知のように池田大作レイプ裁判とは、創価学会の元北海道副総合婦人部長という要職にあった信平信子さんが、昭和四十八年、同五十八年、平成三年の三回にわたり、北海道・函館市郊外にある創価学会施設で、創価学会名誉会長池田大作氏に強姦されたとして、平成八年六月、夫の醇浩さんとともに東京地裁に提訴した、池田氏に対する損害賠償請求訴訟のこと。
 裁判では、原告の信平信子さんの昭和四十八年、同五十八年、そして平成三年の三回の強姦(不法行為)に基づく損害賠償請求と、夫の醇浩さんの、同じく三回の強姦に基づく損害賠償請求の、合計六種類の損害賠償請求が一括して審理されてきた。  この審理の過程で原告の信平さん側は、強姦という非道な犯罪行為の事実を明らかにするため、徹底した事実審理を求めたが、被告の池田氏側が裁判冒頭から事実審理を全面的に拒否。その上で、発生から二十年を経過した事件は裁判に付さない、との「除斥(じょせき)期間」という民事訴訟法の規定と、「消滅時効」を主張し、直ちに裁判を終結し、原告の請求を棄却するよう求めていた。
 「創価学会は、信平さんが『週刊新潮』に告発手記を発表以来、『ウソ付き』だの『ズルノブ』などと、激しい信平バッシングを展開、提訴後は『デッチ上げ訴訟』『狂言訴訟』だとわめきたてている。その一方で池田氏は、レイプ事件にいっさい言及せず、反論すらしていない。もし、強姦の事実がないというなら、『強姦はしていない』と堂々と反論し、法廷でも事実審理を行ない、その中で敢然(かんぜん)と否定すればいい。ところが池田氏はそれをせず、ひたすら事実審理を拒否し、時効、除斥を主張している。事実審理をされるとまずいと考えているとしか思えない、異常な対応だ。」(裁判を傍聴しているマスコミ関係者)
 だが、こうした異常な訴訟戦略であるにもかかわらず、東京地裁民事二十八部(満田明彦裁判長)は、原告の求める事実審理、証拠調べを一度も行なわないまま、原告らが求めている請求のうち、信平信子さんの請求分全部と、信平醇浩さんの請求分のうち、昭和四十八年の強姦に基づく請求分を弁論から分離し終結、平成十年五月二十六日、三回の強姦は「除斥」「時効」にあたるとする中間判決を言い渡した。  この中間判決を受けて、信平信子さんは、同年七月三十一日、東京高裁に控訴(醇浩さんの昭和五十八年、平成三年の強姦に基づく審理は東京地裁で継続)。今回の判決に至ったのだった。

歴史に残る高裁の迷判決

 「宗教的呪縛」は単なる「気の迷い」1?

 七月二十二日、午後一時から言い渡された東京高裁の判決は、東京地裁民事二十八部が昨年五月二十六日に出した、原告の信平信子さん、醇浩さんの訴えの一部を「除斥」ならびに「時効」だ、として退けた判決を、支持するもので、控訴人である信平信子さんの控訴を棄却するものだった。
 「高裁の判決は、一審の東京地裁の判決をそのまま是認しており、事実審理をいっさい行なわないまま、事件は『除斥』ならびに『時効』だと判断している。しかし、この判決には重大な瑕疵(かひ)がある。というのも、なんら事実審理、証拠調べをしていないにもかかわらず、時効の起算点や時効の完成を事実として認定しているからだ。時効は、被害者が提訴する権利を行使する環境が成立して、はじめて起算される。だから、信平信子さんが、いったい、いつから権利を行使しうる状況になったのかが、重大な争点になる。ところが、その点についての証拠調べは一度も行なわれていない。にもかかわらず裁判所は、判決の中で『(信平信子は)自由に自己の権利を主張しうる状態にあった』と事実認定をしている。しかし、信平信子さんが本当に『自由に自己の権利を主張しうる状態にあった』のかどうかは、証拠調べ、事実審理をしなければ分からない。その意味で、証拠調べを欠いた事実認定には明らかに問題がある。」(裁判を傍聴しているジャーナリスト)
 原告の信平信子さんは、昭和四十八年を端緒とする池田氏による三回の強姦行為を、ただちに告発、提訴できなかったのは、池田氏という超絶対的な宗教指導者に率いられた創価学会の幹部会員として、池田氏や創価学会に対する宗教的呪縛(じゅばく)にかかっていたからであり、時効の信仰の起算点は、信平信子さんがこの宗教的呪縛から完全に解放され、夫の醇浩さんに強姦の事実を告白した、平成八年二月に置くべきだと主張していた。  これに対し一審の東京地裁は、事実審理をいっさい行なっていないにもかかわらず、「原告らの主張する『宗教団体による呪縛』の実態は、強姦事件を世間に公表する勇気または被告を提訴する勇気を持てずに思い悩んでいた心理状態を言う」と事実判断。要するに裁判所は、信平信子さんに当時の心理状態を聞くという最低限の事実審理を行なうこともないまま、「宗教的呪縛」の実態を単なる「気の迷い」と断定する迷#サ決を言い渡したのだった。
 統一協会やオウム真理教による「マインドコントロール」の恐怖、換言するならば「宗教的呪縛」の恐怖は、今日、大きな社会問題としてクローズアップされており、その深刻さは被害者が当該教団を脱会した後も、精神的に著しいプレッシャーを受けていることが明らかとなっているにもかかわらず、裁判所は、これを「気の迷い」として退けたのである。  東京高裁も、この判断を支持し、信平信子さんの「宗教的呪縛」は、信平信子さんが平成四年五月に、池田氏に対し抗議の手紙を送った、とする時点で解放されたとしている。しかし、「宗教的呪縛」から本当に解放されたのかどうかは、信平信子さんの心理状態をはじめ、手紙の内容を総合的に判断するなど、事実審理をしなければ分からない。第一、池田氏側は、信平信子さんから抗議の手紙を受け取った、ということの事実認否すらしていないのである。
 「事実審理をしない、証拠調べをしない、という結論が先にあって、論が組み立てられているとしかいいようがない、あまりに乱暴、稚拙な判決としかいいようがない。」(先述のジャーナリスト)  また、七月二十二日の判決で東京高裁は、「時効の成立が明らかな訴訟を審理することは、訴訟経済に反する」とも判断している。だが、司法専門家はこの判断は、従来の裁判所の姿勢とは一八〇度異なる、きわめて奇異な姿勢だと次のように指摘する。  「近年、裁判所は、公害問題や労災問題などで、たとえ時効の成立が明らかであっても、積極的に権利の救済を図ろう、という姿勢を見せていた。ところが、今回の問題だけは、時効の成立について議論が分かれているにもかかわらず、事実審理もせずに一方的に時効の成立を判断したばかりか、時効の成立が明らかな事件を審理することは、裁判所も忙しいし、人件費もかかって無駄だ、と言い放ったも同然。驚くべき判決だ。」

狂喜乱舞する池田創価学会

 会員欺く「呆れた虚偽報道」

 この判決を受けて創価学会は、狂喜乱舞。七月二十三日付の『聖教新聞』は、「信平狂言訴訟 デマ騒動事件が破綻(はたん)」「東京高裁でも学会側が完全勝利」「悪質な策謀(さくぼう)を見破り再び門前払い#サ決」との見出しのもと、あたかもレイプが事実無根であったかのような虚偽報道≠続けている。いわく、  「信平信子・醇浩夫婦がデマを捏造(ねつぞう)して騒いできた『狂言訴訟』で、東京高等裁判所の浅生重機裁判長は二十二日、一審に続いて学会側の主張を全面的に認め、信平側の虚偽の言い分を完全に否定し、控訴を棄却する判決を言い渡した。これにより、まったく事実無根の狂言訴訟であることが一層、明確になった」
 「今回の判決も、そうした信平の虚言体質∞捏造体質≠厳しく裁いたものと言えよう」 等々。しかし、東京地裁、東京高裁の判決は、訴訟指揮上、また事実認定の上で多くの問題点はあるものの、述べているのは三回の強姦が「時効」ならびに「除斥」にあたるということだけであり、強姦の事実がなかったとか、信平さんの主張が「虚偽」「捏造」であるなどとは、もとより一言も記してはいない。  
その意味で、創価学会の報道は「タメにする虚偽報道」以外のなにものでもなく、信平信子さん、醇浩さんの名誉を毀損する「人権侵害報道」に他ならない。  控訴審の判決には多くの不満があるものの、一連の裁判の経過を検討した結果、信平信子さんは上告を断念した。
 これにより池田レイプ裁判は、現在、東京地裁で係争中の時効対象外となった夫の醇浩さんが提訴した昭和五十八年、平成三年の強姦に基づく損害賠償請求訴訟だけとなった。しかし、信平信子さんも、強姦行為をはじめとする池田氏による多年にわたるセクシャルハラスメントや、人権侵害行為を、新たな訴訟として提起する意向だとも伝えられる。  ところで、創価学会の政治部門である公明党が自民党との連立に参画することが決定し、いよいよ自・自・公連立すなわち自・自・創連立政権が発足する。
 かつて非自民連立政権に参画した際、創価学会・公明党は、法務大臣に創価学会シンパの法学者三ヶ月章氏を起用した。  先の盗聴法案の参議院法務委員会での強行採決は、創価学園・創価大学出身の公明党参議院議員荒木清寛委員長のもと実施された。  池田氏を守るためには、国民の権利を侵害することも辞さない創価学会プロパー。そのプロパーたちが再び、政権の座につこうとしているいま、司法がいかなる方向を向いているかは想像に難くない。  その意味では、池田大作レイプ裁判は、日本の司法制度の独立の有無、民主主義の練度を投影する、リトマス試験紙でもあるのだ。

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